山岳古道④水戸の天狗党が越えた官道2021年02月17日

  蠅帽子峠までは行ける。ブナの疎林が素晴らしい尾根歩きである。但し登山道は整備されておらず、多少は藪っぽいところがある。登山口も3m程度の渡渉を強いられるから簡単ではない。
 
過去の記録「晩秋の蠅帽子嶺に登る」から

http://koyaban.asablo.jp/blog/2015/11/

 水戸天狗党の武田耕雲斎ら800名は150年前の12月初旬にこの山路を乗り越して、越前国に入り、山伝いの村落をつなぎながら、敦賀市まで苦難の旅を続けた。
 800人というから先頭から最後尾まで1人分1m超の間隔とすると、ほぼ1kmの隊列になっただろう。馬もいたし、大砲も分解して運んだという。徒労といえば徒労の旅だった。
 苦労も空しく京都の徳川慶喜には会えず、越前藩は優遇してくれたが徳川幕府方に渡ると鯡倉に押し込められてその後は斬首にされた日本刑法史上最悪の結果になった。日本の夜明け前の暗さを反映したような事件だった。