森喜朗氏の辞任を考えるーヤマトタケルと言挙げ2021年02月12日

 結局、森氏は「言挙げ」してしまったのだ。マスコミの切り取りはあったにせよ、スキがあったのだ。以下の文に見る如く、ヤマトタケルも相手を軽く見たわけではないのに、自分の思いを正直に言葉にしてしまった。それが「言挙げ」であり、感受性の強い女性の神経にさわるのである。そしてマイナスに働き、屈強の神様も足が三重(三重県の由来)に曲がってしまった。鈴鹿市で力尽き、「大和は国のまほろば・・・」と詠って亡くなった。実に恐ろしきものは言挙げである。他人の癇に障る言葉は厳に慎まなくては。

 ブログ「和人」から
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【古事記】倭建命(やまとたけるのみこと)「伊吹山(いぶきやま)の白猪」

 倭建命(やまとたけるのみこと)は、尾張国(愛知県)の美夜受比売(みやずひめ)と結婚された後、伊吹山(滋賀県と岐阜県の境にある山)の神を討ちに出かけますが、その時、御刀である草薙剣(くさなぎの剣)を、美夜受比売(みやずひめ)の元に置いて、「この山の神は、素手で倒してやる!」

といい、持たずに出発しました。そして、その山に登った時、山の麓(ふもと)で白い猪に遭遇しました。その大きさは牛ほどあります。

そこで、倭建命(やまとたけるのみこと)は、言挙(ことあげ)して「この白い猪に化けているのは、その神の使者だな。今殺さずとも帰る時に殺してやろう!」と言い、そのまま山を登って行きました。

*言挙:自分の意思をあらわにし宣言すること。古代では言挙しその内容が間違いであった時、効力を失い自分の力をも失うとされ、禁句とされていたようです。

 すると、突然激しい雹(ひょう)や雨が降って来て、倭建命(やまとたけるのみこと)はその雹と雨に打たれ意識を失ってしまいます。実は、その白い猪は神の使者ではなく、山の神そのものだったのです。

 しかし、倭建命(やまとたけるのみこと)は「山の神の使者」と言挙してしまったので、その怒りを買いこのようにして気を失わせたのでした。
倭建命(やまとたけるのみこと)は、意識が混濁(こんだく)する中、その山からなんとか帰り下り、玉倉部の清水(たまくらべにある泉:所在未詳(滋賀県坂田郡米原町の醒が井あるいは、岐阜県不破郡関ヶ原町玉とも言われています)に着き、休みになっていると少し意識が回復しました。それで、その清水を居寤清水(いさめのしみず)といいます。

 そして、そこから倭建命(やまとたけるのみこと)は出発し、当芸野(たぎの:岐阜県養老町)の辺りに着いた時こう言いました。「私の心は、常に空を飛び翔けて行けると思っていた。しかし今は、私の足は歩くことも出来なくなり、たぎたぎしく(腫れてぼこぼこに)なってしまった」

 それで、この地を当芸(たぎ)といいます。

 そこから少し進むが、とても疲れ、なんとか杖をついてそろそろと歩きました。そこで、その地を杖衝坂(つえつきざか:三重県四日市市)といいます。
以下略