山岳古道①覚明行者の開拓した登拝道ー木曽越峠から白巣峠2021年02月10日

 山岳古道についての打ち合わせ会を持った。会として五か所をアップすることになるが、その組織づくりを始める。切り口をどうするか。これが古道だと取り上げても賛意が得られるか、興味を持たれるかが疑問である。そこであらまし歴史的な人物、食い物文化、古墳、信仰などのカテゴリーを考えてみる。
1 御嶽山の黒沢口の登拝道は春日井の覚明行者という。
「御嶽山を一般の人が登拝できるようにした覚明行者の誕生地ということで、春日井では江戸末期から明治時代にかけて、誕生講を中心に大部分の市域で御嶽講が結成され、下街道は御嶽参りの人々でにぎわった。そして、多くの先達が輩出し、市内各所に霊神碑が林立するお山が分布している。
現存する講を御嶽信仰の上部団体との関係でみると、御嶽教はなく、神道大教4、木曾御嶽本教3、地元完結型3である。(註6)」

「中央線が明治33年(1900)年多治見まで、同35年中津川まで、同43年木曾福島、翌年塩尻まで全通している。鉄道が開通するごとにその終点から御嶽をめざし、下街道から御嶽詣の人たちの姿は消えていった。
中津川まで開通してからは、付知―白巣峠―王滝村から頂上をめざすルートもにぎわい、付知には宿屋が5軒ほどあったという。(註2)」

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「木曽越峠の名は、木曽義仲が越えたという伝承によるが、加子母から木曽越峠、信州王滝村に抜ける道は、江戸時代の寛政年間(1789-1801)に御嶽登山道として、御嶽行者の覚明によって開かれた。余談ながら、覚明は愛知県春日井市牛山町の出生で、名鉄小牧線間内駅前に覚明霊神の像があるので親しみがある。加子母村から木曽越峠を越えて渡合へ、さらに白巣峠を越えて滝越経由で、王滝へと至るルートだ。嘉永2年(1849)には、この御嶽登山道が荒れてきたため、加子母村と王滝村の人が中心になって、補修の寄付を募っている。文久2年(1863)には、加子母と付知の人が発起人になり、道に迷って命を失った人の菩提を弔い、道案内として登山者を守るため、加子母村を基点に王滝村まで33体の石仏の観音像が安置された。」