東濃・田代山を歩く2021年02月07日

 笹平登山口から黒の田湿地を経由して田代山へ登った。フキノトウやフクジュソウにでも出会えないか、と思った。40年くらい前に一等三角点研究会に入り、一等からしらみつぶしに登り始めた。
 屏風山は初期に登った。あの頃は地図からは分からず、ガイドブックと同志の情報交換が頼りだった。だから入会する理由があったわけだが、今では全国の一覧がネットで知ることができる。それでもマニアックな山は研究会の情報が貴重である。黒の田湿地も初めてではないと思うがもう歩いた記憶はない。先日の雪が少しだけあり、春は未だしの感がある。フキノトウすら会えなかった。
 田代山へは湿地から良い道が上がっている。旧牧場からくる道との合流地点前はやや不明瞭である。田代山の南西のコブは約829mあり、これを越えて登り返すと山頂だ。
 田代山は古い記録では819mであるが今は820.0mになった。3等三角点が埋まるが樹林の中で展望は皆無である。
 帰路は合流地点まで戻り、直進すると田代山高原牧場の廃墟へ下ってゆく。途中に牛の水飲み場跡があった。さらに下ると左へ電波塔への舗装路に出会う。電波塔へは行かず、そのまま下ると右手に牛舎の廃墟があった。廃墟の裏の819mのコブへは踏み跡がある。猪の罠が仕掛けてあるところで終点。そこから植林の中の尾根を辿るが、踏み跡はない。GPSで確認しながら下ると荒れているが深い踏み跡が出て来た。古い杣道だろう。尾根を忠実にたどる。地形が複雑で行きつ戻りして688mの4等三角点(笹平)を確認して、道の無い尾根を下って笹平の山里に出た。読図力がためされる。GPSが必須だった。
 笹平は中山間地域で圃場整理が行き届いた美しい山里だった。Pへ戻る際に媼に挨拶した。94歳というから亡母と同じだ。母は若くして死んだが存命なこんな風に生きているんだろう。孤絶された山里で一人生きることはできまい。嫁が気を使って声をかけてくれるという。言葉はしっかりしており、世の中のことも見ている。
 狭いたんぼを圃場整理されたはいいが、田植え機、耕運機など機械の購入と修理代が大変かさむと嘆く。年金をつぎ込んでいるんだともいう。今の農業は農協の管理下にあり、イネも苗で買うし、種も買うのである。昭和30年代の私の実家ではトウモロコシやなすびの種をいつも保存していたものだった。その上に肥料や機械類もみなカネがかかるのだ。嘆かわしい話を打ち切ってPへ戻った。
 時間が早かったので恵那駅前の「あまから本店」に行き、だんごタイプの五平餅を食べに行った。検索すると恵那市は多数の店がヒットするので山へ行くたびに食べ比べしてみたい。特徴は三河のわらじ形の味噌だれではなく、だんご形で醤油ベースのクルミだれである。クルミのコクとゴマの風味がうまい一品だった。店内で食していると次々に客が来て10本、20本と買っていく。たかがご飯をだんごにして串に刺し、炭火で焼いただけなのに愛されているんだと思った。瑞浪市他にも支店をだすほどの繁盛ぶりである。

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