考古学者・森浩一の東海学の提唱2020年12月19日

 朝日遺跡に行った際にたくさんの知見を得た中に森 浩一「(もり こういち、1928年7月17日 - 2013年8月6日)は、日本の考古学者。」の提唱した東海学がある。氏は春日井シンポジュウムを主導し、たくさんのシンポを主宰し、成果は10冊以上の書籍にまとめられた。
 柳田国男はたくさんの著書を著し、柳田学から後には日本民俗学と呼ばれた。今西錦司は探検、登山での観察による知見を著書に著し、自然学を提唱した。民俗学の赤塚氏は「東北学(とうほくがく)は、民俗学者の赤坂憲雄が提唱した東北地方の、文化、地理、歴史、経済的な学際的総合研究の方法で、その呼称。」をまとめた。
 専門領域だけにとどまっていては分からないこともシンポで多面的な人材が参加することで全体像が明らかになる。今ここに考古学の成果を東海学という学問にまとめた事を知った。
 19日はそんな成果を見たくて直接春日井市立図書館に行った。郷土資料コーナーは膨大な書籍で埋まっている。そこにシリーズの書籍が並んでいた。欠本もあった。隣には春日井市内の古墳の発掘資料の冊子も並んでいた。森氏が春日井市に入れ込んだのは古墳があったせいかと思われた。
 森氏は今は亡く、蔵書は春日井市に寄贈され、中央公民館に森浩一文庫として整理されているらしい。一度は拝見して見たい。
 考古学は書斎や研究室にこもってなせる学問ではない。フィールドワークが重要である。縄文時代、弥生時代と来て、古墳時代がある。
 東海学という書名の本の目次を眺めてみて、関心のある東山道の項目だけを拾い読みしてみた。その中の地図で時代の変遷で街道がどう変わったかが図示されて興味深い。
 東海道は大阪から鈴鹿峠を越えて伊勢を北上し、熱田の渡しで名古屋に入る。愛知県からは主に遠州灘沿いに東進する。箱根越えはするがずっと南よりなので海道というわけだ。
 反対に山中を縫うようにあるから東山道というのである。海を見る街道から山を眺める街道である。
 1300年前の尾張国の絵図には一宮と清洲は島だった。昔は島伝いに古東山道があったはずである。津島辺りで熱田の渡しのある桑名へ南下し、東海道に合流したらしい。また関ヶ原方面の中山道にも分かれただろう。
 文化は辺境に残るというから今は神の神坂峠辺りが名残りとしてある。岐阜県側は車道でズタズタだが長野県側は少しは原型をとどめているだろう。地質学でいえば、神坂峠には古代の歴史(地層)の露頭が観られるのである。あそこは古代遺跡もあったはずである。

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