中国王朝史と日本神話時代そして渡来人と弥生文化2020年12月08日

 中国王朝史を見ると目まぐるしく易姓革命を繰り返している。日本では神話時代と重なっている。さらに考古学の成果で最近は弥生時代の遺跡、遺物が姿を現し、縄文文化も語られることが多くなった。

 日本海側の若狭湾、敦賀湾などは朝鮮半島の文化の取り入れ口みたいに渡来人が流れ着いた。王朝毎に違う政治の仕組みの変化にほとほと疲れた職能人の群れは母国を捨てて別天地を求めて船に乗り日本海に出た。対馬海流に流されて着いた白砂清松の砂浜は歩きやすかった。

 住みやすい平地はすでに先住者がいたから渡来人は奥地が当てられた。こうして明神谷に住んで焼き物を作った。手に職があれば外国でもすぐ受け入れられる。

 熊野市は聖地と言われる。大和朝廷の先祖は太平洋の黒潮に乗った。水稲耕作の技術を持っていた集団は熊野川沿いに遡り、奈良盆地に定住し始めた。大和は国のまほろばの始まりである。

 琵琶湖周航の歌の歌詞を吟味すると、わずか26歳の京大生が作詞したとは思えない。文語体で拡張高く歌いあげる。何か原作がありその漢詩なり和歌を換骨奪胎した気がする。
 琵琶湖を日本海を漂流する先祖に例えた。白砂清松は朝鮮半島の風景に重なる。作詞の小口太郎は諏訪の人だが手本の原作は朝鮮にルーツをもつ人なのではないかとさえ思える。

1 われは湖(うみ)の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
志賀の都よ いざさらば
2 松は緑に 砂白き
雄松(おまつ)が里の 乙女子は
赤い椿の 森陰に
はかない恋に 泣くとかや
3 波のまにまに 漂えば
赤い泊火(とまりび) 懐かしみ
行方定めぬ 波枕
今日は今津か 長浜か
4 瑠璃(るり)の花園 珊瑚(さんご)の宮
古い伝えの 竹生島(ちくぶじま)
仏の御手(みて)に 抱(いだ)かれて
眠れ乙女子 やすらけく
5 矢の根は深く 埋(うず)もれて
夏草しげき 堀のあと
古城にひとり 佇(たたず)めば
比良(ひら)も伊吹も 夢のごと
6 西国十番 長命寺
汚(けが)れの現世(うつしよ) 遠く去りて
黄金(こがね)の波に いざ漕(こ)がん
語れ我が友 熱き心

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