古城山捜索行2020年11月08日

 出発は遅くなり朝9時。古城山の北麓の青波には10時50分。11/3には捜索本部のテントがあったゲートボール場に駐車して11時丁度に歩き出す。目的は87歳のきのこ採りの老人の捜索である。とはいえ、10/25に入山、その日に下山せず、息子さんが自力で10/31まで捜索したが、11/1に県警に捜索願を出して大掛かりな捜索が行われた。
 11/2は雨で警察だけで捜索したらしい。11/3に私が古城山を下山後に青波に回り、ボランティアで参加、警察10人地元民40人で行われたが手がかりなし。そこで公的な捜索は打ち切りになった。
 人生は自助、共助、公助の順だが、山岳遭難は逆で、まず警察に捜索願いを出すことに始まる。そのためにはルートなどを書いた入山届、登山届けが必須だが、山菜採り、きのこ採りには喧しく指導されない。この人もまつたけのよく獲れる自分の知っている場所へ行ったのだろう。勝手知ったる裏山だから本人以外に居場所は分からない。
 赤の他人だからほうっておいても良い。しかし、捜索後の解散のあいさつできのこ採りの長男氏(61歳)の涙ながらの話は身につまされる。ご遺体が発見されないと死亡届も出せず、相続も始まらない。長いこと山歩きをしてきた身には何とか本人の捨てたゴミでも落ちてやしないかと来てみた次第である。
 まずは地形図にある破線路を歩いてみた。分岐までは17分、ここで熊鈴が良く鳴るように位置を変えた。先回来たところからさらに奥まで車道の廃道が伸びていた。終点からも踏み跡程度の道が続く。廃田も残る。こちらの方が歴史的には古いのだ。
 登山道の稜線が見える。風が騒ぎ、木立が揺れると、はて、熊か、野猿かとどきっとする。単独は心細い。源流部には廃墟があったが曲輪(郭)だ。正しく古城である。稜線には12時ジャスト。標高360m。ゲートボール場(100m)から比高260mだから大したことはない。
 目的は伝「馬場」から西の日当たりの良い稜線か尾根を探る予定だったが、370mのコブからの北西尾根も気になる。北の直下にはきれいな道が見えるので注意して見ていると踏み跡が下っていく。よしここだと降りてみたら連続した曲輪の平地がここまで延びていた。どんどん下ると、がさごそと音が摺るので見上げると人だった。やれやれ。この人も捜索だった。Kさんという。
 付かず離れずで交互に捜索を続けた。この尾根は松が大変多い。日当たりも良いのでまつたけが出そうだ。そして飴を包んだゴミを発見。末端までに3枚撮影。加えてバナナの皮を入れた紙袋もあった。これがきのこ採りの老人のものなら一帯を集中捜索することになる。
 結局末端まで一緒に下ったがゴミ以外はなかった。Kさんは南へ林道を行き、馬場へ戻ってはじかみ林道の駐車場へ行くというので別れた。青波に戻って、老人の自宅を尋ねてみた。丁度実の弟さんが畑仕事の最中で話を聞いてみた。
1 行方不明の兄は独居ということ。妻は施設に入居。つまり兄の自宅は今は留守。
2 11/3のあいさつされた長男は名古屋市に住んでいること。
3 入山経路は青波ではなく、はじかみ林道の登山道からということ。
4 弟さん自身もまつたけのよく出る場所は分かっているので後日行くという。
5 北西尾根のゴミは兄のものじゃないということ。
6 近年は山に入る人が居ないのでよく知った人も居ないという。
 その他立ち話であるが、長々と世間話をして別れた。87歳の老人が長男と同居ではないことがちょっとショックだった。4月以降の外出禁止、面談禁止などで6月頃の兄はおかしかったとも言われた。他人と一切話をしないとそりゃおかしくなる。
 私が4月以降道迷い事故(山菜、きのこ採りを含む)の報道を集めてきたが、高齢者が多かったことは確かである。中には山の精通者もいるから精神的に参っていたのだろう。
 古城山の捜索は今は縁のある人らの自助と何も関係はないが心ある人の共助だけになった。もう一回だけ、山やとして気になる場所を探ってみたい。それまでに発見されることを願う。