美濃でフルセット・古城山周回・捜索協力・温泉・関市で鰻を食う2020年11月03日

 朝7時20分出発。名二環・植田から一宮へ、美濃JCTから関・広見まで高速。R418から登山口まで国道、地道で順調に着く。スマホのナビを使っても分かりにくい。明智光秀のドラマの影響で脚光を浴びたにしては案内が今一である。
 9時20分新設されたPを出発。山城研究のグループがたむろ、受付したり、今日は大勢が登るらしい。正規の登山道を行くとすぐ1人になった。登山道はよく整備されて歩きやすい。
 植生は植林である。その中に暖地性のシダ類が繁茂している。照葉樹林の艶々した緑の葉が美しい。落葉樹はなく、紅葉、黄葉は見られず。登ると30分で小休止。2ヶ月ぶりだから心肺も足も相当弱っている。
 尾根に出ると風があり涼しい。今日は木綿のシャツだが少し汗をかいたからひんやりする。高い山だと寒く感じるだろう。上から登山者の声が聞こえてくる。山頂は近いのだろう。登山口で110m、山頂で407mだから正味300mしかないから60分程度である。
 傾斜が立ってきたらまた尾根に出て二股に分かれた。馬場の地名があり、馬を馴らしたというが、馬場が山に多い。猿ヶ馬場山、川上岳の点名は兎番場(馬場)、山中山の旧称はオサンババと呼んでいたが、兎番場らしい。つまり山頂が馬の背のように丸く広いイメージである。こんな急峻な山で馬を馴らすなんて歴史の捏造です。
 そうこうするうちに頂上に着いた。最後はフィックスロープの助けで急な岩場の道をよじ登ると山頂直下のミニ広場に着いた。その先にミニのお城が建っている。またこんなものを。やりすぎである。
 城を経て登頂。三角点はあるが展望は限られる。少し休んで下山。はじかみ林道経由で下った。ここもずっと急でフィックスロープが張ってある。8/22も転落事故があり、カメラマンが落ちて背骨を骨折した事故があった。
 林道の登山口には多数の車が駐車。ここから30分なので登山をしない人はここから歩くのだろう。係りの人が何やらパンフを売っていた。その人に11/2報道された87歳の老人の行方不明事件を聞くとまだ見つからず今日も捜索中という。
 マイカーのPまでは徒歩で下ってもまだ12時前。途中で行方不明の現場へ行ってみる。パン1つをかじって昼食。現地では捜索隊を編成し、本格的なテントを張って本部を置いて範囲を検討中だった。私もボランティアを申し出て地元の人らと歩き出す。12時半。
 地形図で破線路のある一帯を調べていた。昔はここから登られたらしい。今は杉の植林だが、古い田んぼの跡がある。居宅もあったらしい。87歳の老人はこの山一帯で採れるまったけの権利を買ったとかいう。いわば精通者であった。それがどうしたものか。
 まったけは松の生える尾根に出るので適当に尾根を登った。確かに少ないが松が続く。しかし87歳の老人の足にはきつい気がする。それじゃどこへいったやら。別方向から捜索してきた人らと合流して藪の少ない斜面を下って元へ戻った。2時半になっていた。2時間の捜索であった。3時ちょうど本部まで戻り解散。息子さんらしい人が涙ながらに捜索へのお礼を述べられた。
 10/25に入山したが、行方不明となった。10/26から11/1に届けるまでは自力で捜したようだ。11/1に捜索願が出て警察が動き、今日で3日目で公的な捜索は終了した。後は親族とボランティアで捜すことになる。時間の経過でもう存命の望みはないが、ご遺体がないと相続もできない。
 解散後は、武芸川温泉に入浴。祝日は800円だった。その後まだ時間があるので関市のうなぎ屋に寄った。5時過ぎから営業するが、店は1卓を除いて満席だった。人気の店みたい。上丼を注文したが御飯が多かったから鰻が少なく感じた。久々に食ったから旨い。
 今日はフルセットで遊んでしまった。まあ偶には良い。

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