安倍首相辞任の波紋④身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ2020年09月02日

 安倍首相の辞任報道の波紋は止むことがない。
 1年後に再登場への期待も多数寄せられている。日本人なら考えることは同じである。今回の辞任劇も、多分、肉を切らせて骨を断つの深謀遠慮があったと見ている。否、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、ということわざが的確か。

「捨て身の覚悟で取り組めば、危機を脱し活路を見出せるということで、溺れかけたときはもがけばもがく程深みにはまるものであり、捨て身になって流れに身を任せれば、やがて浅瀬に立つことができるという意味」

 4月に予定していた中国の集主席の国賓来日を断つためには相手国のプライドを傷つけるわけには行かない。日本も相当な被害にてんやわんやしていることを知ってもらう必要がある。早くやれば被害は少ないが相手国の面子が立たない。何かと厄介で難しい中国と韓国を入国制限したのが3月初旬だった。
 そして今回は自らが首相の座を降りた。相変わらずの親中派の中国擁護にご本尊に露出させて失敗させて再び、「やはり外交は安倍でなけりゃ」の演出ではないかと思う。
 気が早いメディアでは菅首相の言葉が踊り始めた。そうなるだろう。菅さんは苦労人との評価で悪くはない。ただし、北海道でアイヌを先住民とする法律を成立させてしまった。ええんかな、と一抹の不安がある。田中角栄と同じく苦労人だけに情治に陥りやすい気がする。神奈川県の政治風土から出てきた政治家はちょっと危ない気がする。
 しかし、菅さんの政治信条もメディアで拡散されて一般人の知るところになるだろう。在日韓国人の政治の表舞台への台頭は日本人の危惧するところとなって菅さんが危険な政治家だったことに気がつく。そこで再び安倍待望論が出てくる。