長江はくるしむ河と思はむかその上に寝て夢ぞ乱るる2020年07月11日

 訃報 歌人の岡井隆さん死去。
 表題の歌は『歌集 中国の世紀末』(1988.7.1)から。現代詩文庫『』井隆歌集』(2013 思潮社)に抄録。
・・・「長江は眠れる河か」は記憶違いで、ちゃんと歌集を見て確認しました。今も三峡ダム崩壊説が蔓延中ですが、実際に中国自身はその大きさに苦しんでいるのです。日本からは巨大市場に見えるのですが、実のある経済は実際は小さいのでしょう。32年も前の歌ですが、現代中国の現状を示唆していて、岡井隆死去の報にすぐ反応したのがこの歌だったわけです。
 大きすぎると、トップの号令も末端には届きにくい。みんなルールを守らない。外国からは攻められやすい。常に外国を攻めていないとすぐ攻め込まれる恐れがある。みんなの面倒も見きれない。大衆の不満は常にあり暴動が絶えない。

https://www.sankei.com/life/news/200711/lif2007110014-n1.html

歌人の岡井隆さん死去 前衛短歌運動の旗手
 昭和期の前衛短歌運動を牽引(けんいん)し、宮中歌会始選者も務めた歌人で文化功労者の岡井隆(おかい・たかし)さんが10日、心不全のため死去した。92歳。葬儀・告別式は故人の遺志で行わない。後日、お別れの会を開く予定。

 昭和3年、名古屋市生まれ。歌人だった両親の影響で短歌を始め、結社「アララギ」に入会。26年には近藤芳美さんらと歌誌「未来」を創刊した。慶応大学医学部卒業後も内科医の傍ら作歌を続け、36年に出した歌集「土地よ、痛みを負え」では象徴や比喩を多用し、従来の写実にとどまらない短歌の可能性を開拓。40年代にかけ、寺山修司や塚本邦雄さんらとともに、短歌に濃密な思想性を持ちこむ前衛短歌運動の中心的存在となった。

 40年代半ばには一時、歌壇から離れたが数年後に復帰。詩作や評論も手がけ、口語と文語を融合させながら日常の細部を軽やかに歌う「ライト・ヴァース」を提唱し、後進の歌人にも影響を与えた。

 「禁忌と好色」で迢空賞、「親和力」で斎藤茂吉短歌文学賞、「馴鹿(トナカイ)時代今か来向かふ」で読売文学賞をそれぞれ受けた。19年から天皇陛下や皇族の和歌の相談役として宮内庁御用掛を務めた。28年、文化功労者。

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