申請書類作成2020年05月01日

 午後、クルマに自転車を積んで丸の内の事務所へ。幸い三の丸で止められたので自転車は出番なし。4/29から停滞していた雑務を処理した。何と3月16日の納税申告以来会計入力も止まっていた。社会が異常事態になり自分で何をどう対応するのか、考えているとヒマはあるのにこんなルーチンな事務は手に付かなかった。
 4/3に申請代理の仕事がスポットで入り、書類の受け取りが若干遅れていた。このご時勢なので開業を延期するのかと訝っていたが、4/28に着手金と書類を受け取り、こちらがボールを受けたことで投げ返す準備に入った。さあ、と思うが滞ったままでは新規も進めにくいので入力した。
 すると二重入力やら、仕訳ミスなどあり再点検して落ちついたのが昨夜だった。今日はようやく新規の業務を進めたものの手書きの書面はどうも気が進まないので検索で他県のHPからワード形式の書式をダウンロードしてPCに取り込み、氏名、住所などを入力。たったこれだけといえばこれだけしかないが、ワードで作る書面はきれいである。
 休み明けには役所へ行って細部を問い質し、書面を仕上げたい。月初に申請し受理されれば6月中か下旬には許可されるだろう。他の得意先にも事業継続化資金の申請関係の情報を送付してみたい。

名古屋市は31℃を記録し真夏日になった!2020年05月02日

 真夏日の報道はチャイナウイルスの感染拡大を抑え込むのに追い風になると期待する。このウイルスは高温に弱いというからだ。そんな科学的な話も良いが、私はとっさにアマテラスのことを浮かべた。
 コロナとは太陽が月にすっぽり隠れる皆既日食のことで王冠とか光冠を意味する。その形がウイルスに似ているのでコロナウイルスというわけだ。月が隠していた日食が終わり太陽がダイレクトにわれわれを照らし始めた。
 古事記や日本書紀では太陽神のアマテラスが疫病神のスサノオを追放することになっている。今はまさに太陽神がアマテラスとなって現れたのである。そして疫病神のスサノオを追放し、世の中が明るく照らされる最初の印かも知れません。
 温かくなれば感染力は弱まる。感染しても発症を抑える効果があると思われる。人間の体温も上がり免疫力もつくだろう。
 令和2年の今、伊勢神宮に祀られたアマテラスは威力を発揮し始めた。このまま夏日が続いて欲しいものです。
 神風よ吹け吹け。
 カネで解決できることは政府がここぞとばかり国民に注力して欲しい。今までは外国に良いことばかりし過ぎたのだ。特に中国と親密になり過ぎた結果、入国した中国人が持ってきた豚肉製品の豚コレラが蔓延したことは耳に新しい。それが終わったかと思ったらこんどのチャイナウイルスの感染症拡大である。移民流入による多文化共生は経済の維持には良いが、ウイルスや不衛生までも共生は御免被る。

   金輪際御免被るコロナの禍   拙作

日進市の天地社へ参拝2020年05月03日

ステイホームも疲れるので気分転換にポタリングに行きました。片道約10kmくらいの刈谷市のカキツバタ園を計画して走り出したが、アゲインストの風が強く、行くな行くなと言われているようで近場に変更。
 目的地は天白区の隣の日進市の天地社という神社です。もちろんご祭神に疫病除けの神様であるスサノオが祀られています。スサノオに現代の疫病であるチャイナウイルス退治を祈願しました。
 ここなら片道5km。ちょっと背中に汗かく程度です。

みどりの日2020年05月04日

 朝は小雨模様。自転車は乗らずマイカーで少し離れた飲食店で朝食をとる。いつも自炊ではだれてしまうからだ。帰宅後はこもりっきりになった。ネットで情報収集するがとくに大きな変化はない。非常事態宣言はまた5月末まで延長になったことくらいだ。欲しがりません勝つまではということだ。
 夕方になったので夕飯の支度をする。今まで買い込んだ食材をなるだけ使い切りたいのでカレーにした。ご飯は5分づき米、カレーの具は豚肉、玉ねぎ、ニンジンとカレールー。いつもの食材である。
 大玉の夏ミカンの一種だろうか、2個あったので皮を剥いて身だけを取り出して食べる。5/3の捜索に行くつもりで買い置きした5/2付け賞味期限の揚げ寿司とおにぎりと行動食の柏餅がザックにいれたままになっているのを思い出した。これも食べないともったいない。
 食べきりが済んだら、パンパンになっている冷凍庫の掃除を兼ねて冷凍保存品の一掃整理もやらねばなるまい。買うばっかりでは不良在庫が溜まる。長いと思っていたGWも5/5、5/6と残りは2日になったのである。
 相変わらず登山はおろか外出を自粛を余儀なくされるのだが、天気が良ければ三密を回避しながら外出をしてみたい。県内なら仕方ない。なるだけ無名の土地が良い。そういう行き先のストックはたっぷりある。

豊田市・蚕霊山を目指して2020年05月05日

 名古屋市を14時過ぎに出発。豊田市の猿投公園へ行く。クルマはそこにデポして、14時半ごろに自転車に乗り替えて出発。ネットで指示したルートを走るがアップダウンが激しく引き返したくなる。
 西広瀬工業団地への4車線の良い道だがアップダウンが大きくて自転車で走るにはペダルが忙しい。その上、自粛の中で体中に脂肪が回り太めになったから切れも悪い。それで自転車を降りて徒歩で稼ぐはめになった。トホホだ。
 工場はみな休業中でトラックは1台も通らない。だから安全ではある。T字路で右折、飯野川に豪快にダウンする。気持ちは良いがブレーキ操作が重要だ。すぐに右折して、名古屋グリーンゴルフ場入り口までまた降りて高度を稼ぐ。入り口からダウンすると犬伏川に下る。ここで標高120m。ここから緩やかな山村の田園風景の中を犬伏川上流にさかのぼる。R419との合流地で217mあるので比高97mを登ることになった。基本的に山里はゆるやかで漕げるが、離れると急坂になり、降りることしばしばだった。
 R419の蔵屋敷に着いてすぐ冷えたドリンクを買って飲み干す。猿投公園からこの間は自販機が無かった。持参すべきでした。R419mo基本緩やかでなるだけ乗って進むが降りたところもあった。小原町は旧役所のあったところでコンビニもありドリンクを買って一休みした。
 ここからは小字が「登り」とあるごとくR419も急で、最初から降りて歩いた。「登り」で矢作川へ行く村道に右折するとまた一段と急坂になり、峠を越す。これが下りが危険なほど急でカーブもきつい。
 西細田町の地点で三差路になり道標がある。神社マークのここで右折する。お堂が神社の意味だろう。石碑に蚕の文字が浮かぶのでここが登山口と思われる。比高60mほど歩いて峠道を登ると分かれ道があり、右へ蚕霊神社の道標があった。キジの雄が大きな声で逃げてゆく。今はもう午後5時を回り時間切れなので登拝はカットした。
 二つ田という山間の小里に下り、左折、平畑町まで急坂を下る。矢作川右岸の町道をしばらく走るが、川原では多くの人がBQを楽しんでいた。簗平で笹戸から来る県道11に出て矢作川沿いに走るだけになる。
県道11は下り一辺倒かと思うが少しは登りもあった。概ね快適な道である。枝下(しだれ)からは少しづつ登りがあって降りた。御船川沿いに北へ行き、東海環状道の下をくぐると朝走った道を反対に行く。Pまでは少し歩かされるが気持ちの良い疲労感に襲われる。少しは脂肪を燃焼しただろうか。

雷神のお怒りと聞く立夏かな 拙作2020年05月06日

 今日は朝から天候不順で外出自粛にはよし。午後は雷がなりどこかに落ちたみたいだ。17時前になって隠れていた猿投山を覆っていた雲が上がり姿が見え始めた。
 明日からは緊急事態宣言の解ける日だったが5/31まで延期になった。そのことへのお怒りの雷鳴だったと思う。実際そろそろ仕事をしないと日本経済が壊れる。コロナウイルスに感染して死ぬ人はほとんどが高齢者であり、持病があったという。いずれは持たなかった人たちだ。今、存命の人には悪いけど、少し早まっただけと考えて見切り発車するべきではないか。
 法務省の統計では4月以降も(感染しているかも知れない)中国人を「特段の事情」で入国させていたことが分かってきた。今、感染で入院中の人にも相当数の中国人がいるらしい。こういう人たちをルーズに入れるから感染が収まらないのである。特に東京都北海道で顕著な状況は示唆させるに十分だ。
 そして5/7以降も外出禁止の要請の延期に国民を代表してお怒りになったのだ。カネで済むことは速やかにカネを配れ、心のケアが必要な人にはそれなりの対応をしてやれ。

何を以って癒されるか2020年05月07日

 朝一で某警察署へ古物商の申請書類の相談に行く。対応の警察官は親切にしてくれたが上席から叱責が飛んできた。取り扱う古物の概念の把握が不十分という。だから書士会でやって来いという。それでも初めてのことでもあり、隅から隅までひるまず問いただして辞した。
 その後依頼者に訂正と書き直しを頼んだ。それだけなら落ち込むが次ぎの仕事の種もくれたから心は明るくなる。この仕事をやってよかった。しかも初めての事業計画書作成の依頼だった。融資を受けるためだという。会計が分からないと作成できないので得意分野に育てて行きたい。
 趣味やレジャーでストレス解消も良いが次にやる仕事があるということで癒されるのはありがたい。こんなコロナ禍で大変な時期であっても借金して事業意欲に燃えた人は居るものである。悲観論の横溢する世の中ではあるがまんざらでもないと思う。

愛知県の石巻山は神山(みわやま)と呼び、三輪山と同じ大己貴命を祀る2020年05月08日

ソース:https://iyakukeizai.com/beholder/article/1436

(2)『日本書紀』の第1回目の疫病大流行

『日本書紀』の崇神天皇・即位5年(3世紀前半か)に疫病が大流行し、人口の半分が亡くなった、と記されてある。原文は「五年、国内多疾疫、民有死亡者、且大半矣」である。疫病大流行の原因は、神様の意に背いたからであり、疫病対策は、神様の意に従うことであった。八百万の神々の中の「どの神様か」というと、「三輪山=大物主(大国主)=大神」である。念のため言っておきますが、天照大神ではありません。そのことは、『昔人の物語(62)・崇神天皇』をご参照ください。

 ともかくも、疫病対策とは、祈祷、神事であった。

ソース:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%89%A9%E4%B8%BB

崇神天皇が天変地異や疫病の流行に悩んでいると、夢に大物主が現れ、「こは我が心ぞ。意富多多泥古(大田田根子)をもちて、我が御魂を祭らしむれば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」と告げた。天皇は早速、活玉依毘売の末裔とされる意富多多泥古を捜し出し、三輪山で祭祀を行わせたところ、天変地異も疫病も収まったという。これが現在の大神神社である。

ソース:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E4%B8%BB

大国主は多くの別名を持つ。(※名義は新潮社神名釈義[要説明]から) 同名の記載順は『古事記』、『日本書紀』、『風土記』、その他祝詞や神社とする。

・大物主神(おおものぬし-)
・地津主大己貴神(くにつぬしおおなむち の かみ)
・国作大己貴神(くにつくりおおなむちのかみ)

大国主神を祀る神社は非常に多く、全国の一宮を中心に無数に存在するため、ここでは主な神社を列挙する。

・南宮大社 境内 樹下神社(岐阜県不破郡)
摂末社
境内社
本殿回廊内

樹下神社
祭神:大己貴命
摂社。本殿に向かって右隣に鎮座。社殿は重要文化財。

・飛騨一宮水無神社(岐阜県高山市)
摂末社祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)

・日吉大社 西本宮(滋賀県大津市坂本)
日吉大社は神代より比叡山にいらっしゃる神(大山咋神)として崇められ、崇神天皇7年、八王子山の麓にお迎えし創祀(東本宮)されました。その後、天智天皇が飛鳥より近江大津宮へ遷都した翌年である天智天皇7年(668)に、大和朝廷の守護神であった大和国三輪山より大己貴神(西本宮)を勧請しました。

西本宮のご祭神である大己貴神は、別名を大国主神・大物主神と呼ばれ、島根県の出雲大社や、奈良県の大神神社などで祀られる国造りの神様であり、我が国で最も貴い神様の1柱であると考えられます。

・建部大社(滋賀県大津市)
主祭神は次の通り。

本殿:日本武尊(やまとたけるのみこと)
本殿相殿神:天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
相殿神は、天照皇大神でなく天明玉命(あめのあかるたまのみこと)とする場合も見られる[1]。
権殿:大己貴命(おおなむちのみこと)
大神神社(大和国一宮)からの勧請。

・砥鹿神社(愛知県豊川市)・・・・奥宮は三河・本宮山
 里宮(奥宮も)本社には、大己貴命(おおなむちのみこと)をお祀りする。大国様(だいこくさま)と慕われる御祭神は、福徳の神・国土開拓の神・縁結びの神として尊崇せられ、交通安全・家運隆昌・厄難消除等の御神徳は、三河地方はもとより各方面からの篤い崇敬を受けている。

 というわけで、、大物主神は大国主であり、大己貴命なのです。

たのしみは越前そばが届く日に大根おろしを掛けて食うこと 拙作2020年05月09日

大根おろしは根っこの辛い部分を使用。
 橘曙覧(タチバナノアケミ)
文化9年~慶応4年(1812~1868)
幕末福井の歌人、国学者。
歌集に『橘曙覧遺稿 志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集』 がある。

享年は57歳と短命であった。

以上は「福井市橘曙文學記念館」のHPからコピペ。

たのしみは・・・ではじまる和歌は独楽吟と呼ばれ余りにも有名である。

表題の短歌は、越前市の蕎麦屋「遊亀庵 かめや」から取り寄せた越前そばが今日配達されたので昼食に調理して食べたことを詠んだ。

 「かめや」さんの主人がコロナ禍で休業中の策として特別に通販で販売したものをSNS(FB)で発信し、母校の同窓がフェイスブックでシェアしていたことが目に留まり注文したもの。
 2,3年前から奥越の笹ヶ峰に挑戦してきた。その際はR365から栃ノ木峠を越えて南越前町入りし、長い峠道を旧今庄町の市街地へ下ると周辺の畑には白い蕎麦の畑が広がる。今庄そばで有名なそば処であるが、原料も地元産である。
 行く前に食べ、下山後に食べたこともある。昨年9月に2日がかりで登ってからもう今庄に行くこともあるまいと思っていた。そんなところへ蕎麦の斡旋があった。またあの今庄そばが食えると即断即決で注文した。5人前3250円(送料込)だから安い。現地で食べても1杯650円から750円だが量が少なめなので2杯食う。すると1300円から1500円になる。
今回は2人前を調理したが旨かった。頼んで良かった。

俳句の永続定型論2020年05月10日

 俳句の原稿を書いた。河東碧梧桐の評伝は書家の石川九楊が書いた。俳句の謂わんとすることは『河東碧梧桐 表現の永続革命』のことがうすうす分かる。話はずれるが、この書名はロシア革命時の人間模様を俳句界の動きになぞらえたのだろう。
 すなわち、ロシア革命では一番活躍したトロツキーが河東碧梧桐、レーニンは高浜虚子、スターリンはだれか。ホトトギスの流れを汲む俳人たちか。
 レーニンとトロツキーは革命理論で対立する。勝者はレーニンである。トロツキーは追われてスターリンの刺客に殺されたという。この流れは河東碧梧桐は新興俳句に進んだものの弟子の追従が少ない。圧倒的な虚子にはかなわない。永続的に俳句を革新し続けた碧梧桐と定型を守った守旧派を自認した虚子の構図である。
 しかし、碧梧桐には書の才覚があった。残された書の作品に碧梧桐の存在を認めようとした。それは書家の大家・石川九楊でないと書けなかった話だろう。
 但し、碧梧桐は結局は俳句の散文化を進めてしまった。定型を壊そう壊そうとした。これを表現の永続革命と讃えた。虚子に反旗を翻した水原秋櫻子らも散文化になっていく。秋櫻子の弟子はそのことに気が付いて定型の韻律性に戻す。有力な弟子が育たないと一代限りで終わるという話。