北畠家の系図2019年11月18日

北畠具行の墓所
 今年は北畠家の人物に巡り合うこと3人も居た。もちろん歴史上の話である。北畠家の家系図はこうなっている。

北畠氏学講座
http://kitabatake.world.coocan.jp/kitabatake.html

北畠氏大詳細系図
 http://kitabatake.world.coocan.jp/kitabatake17.html

 3月 「田丸城跡は1336年(延元元年)北畠親房・顕信父子が南朝義軍の拠点として砦を築いた」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%B8%E5%9F%8E

http://koyaban.asablo.jp/blog/2019/03/28/9052863


 5月 北畠八穂の先祖は三重県の北畠親房の長男の顕家が東北(陸奥国)へ下向した、とあるように南朝方の公卿(くぎょう)で今風に言えば高級官僚であった。青森の北畠家はその血筋の流れを汲む浪岡氏の末裔
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%95%A0%E5%85%AB%E7%A9%82

http://koyaban.asablo.jp/blog/2019/05/11/9071166

 10月 北畠親房「一命を以って先皇に報い奉る」
http://koyaban.asablo.jp/blog/2019/10/01/9160106

 11月 辞世の和歌「消えかかる露の命の果ては見つさてもあづまの末ぞゆかしき」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%95%A0%E5%85%B7%E8%A1%8C

http://koyaban.asablo.jp/blog/2019/12/05/9172795

 とまあ、偶然にも3人の北畠家の人物に遭遇した。
 そこで北畠家の系図でググると、きっちり調査された系図がヒットした。これによると北畠雅家を筆頭に、その子が北畠師親、その長男が北畠師重と続き、北畠親房になる。なので親房は雅家のひ孫になる。一方で北畠具行は北畠雅家の子の師親の弟の師行の子になる。
 祖父の弟は大叔父と呼ぶ。大叔父の子は父母より年上なら従伯父(じゅうはくふ、いとこおじ)で「自分の父または母の従兄(いとこ)」になる。年下なら従叔父(じゅうしゅくふ)で、「自分の父または母の従弟(いとこ)」という意味。
参考サイト
親戚・親族の呼び名早見表
https://www.e-keizu.com/info/family.html
「祖父の兄弟」って何て呼ぶの?家系図で解説!
https://famico.jp/article-zokugara-836/
「従伯父」とはどんな意味?家系図で解説!
https://famico.jp/article-jyuhakufu/

 すると、親房から見て、北畠具行は祖父の弟(4親等)の子。なので大叔父の子すなわち、従叔父(じゅうしゅくふ)です。ここまで離れると傍系親族になる。遠い昔の話である。
 一方で、北畠八穂は青森の産。山の作家・深田久弥の先妻だった。青森県近代文学館が発行した「北畠八穂特別展」のパンフには、祖父の三代前は新潟に住んでいた。父慎一郎は弘前裁判所に勤務、後に青森営林署に勤務。その後材木店を開業。
 例の系図では親房の子顕家の子(親房の孫)に浪岡姓を名乗る血筋が現れて続く。その顕家のひ孫にも浪岡姓が現れる。北畠を名乗る血筋は絶えるのである。
 そこで「青森 北畠」でググると浪岡氏がヒットする。
中世の津軽で大勢力を誇った「浪岡北畠氏」の謎【謎解き歴史紀行「半島をゆく」歴史解説編】
https://serai.jp/tour/37771

浪岡城跡に行ってきたぞ〜北畠顕家の末裔が治めた北の御所
https://takatokihojo.hatenablog.com/entry/2017/07/06/091849

 結局北畠八穂(本名は美穂)の先祖がどうつながっているのかは突き止められなかった。

 ふと思い出したのは丸山学『先祖を千年、遡る (幻冬舎新書) 』だ。丸山先生の調査術であればたぶん分かるだろう。

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