出羽人も知らぬ山見ゆ今朝の冬 河東碧梧桐2019年11月08日

 特選 名著復刻全集 近代文学館  大須賀乙字選碧梧桐句集。
復刻版は昭和50年5月1日発行だが原典は大正5年2月5日の発行になる。発行所は俳書堂。
 序文は乙字が書いている。当時の俳句観を知るには貴重なので転記しておきたい。

「我国にはもと傑れたる叙景詩はなかったのである。芭蕉は叙情詩人たる素質の人であるが、十七字に客観的内容を取って僅少の名句を得たのである。蕪村は芭蕉の完成したるものに憑って俳句を純然たる叙景詩にしたのである。蕪村の叙景は、しかしまだ概念的なところがあって、現在の感覚に触れた生々としたものではない。子規の冩生になって初めて客観的具象化を遂げたのである。しかし子規の寫生は部分的感覚に執してはゐない、纏った気分を把握して天然に向って居る。理知的按排の巧妙な芸術を築き上げて居るのである。子規の進んだ跡を最も正直に行った者は碧梧桐である。
 感覚の鋭敏さにおいては碧梧桐は稀有の人である。子規の判断は純理知の働きに近いものであったけれど、碧梧桐の判断は感覚的要素が基礎となって居たから、子規の感化が薄らげば危険であるべき将来を持って居たのである。此句集を讀めば誰でも「ものの感じを掴む驚く可き鋭敏さ」に感服しないものはなかろう。藝術の為の藝術としての俳句は子規碧梧桐に至って完成されたといってもよいのである。
 子規にも模倣句は可なりあるが、碧梧桐にもそれは少なくない。しかも良い調子にこなされて居るから、なかなか気の付く人はないのである。調子のうまいことも碧梧桐の特色に數へなければならぬ。
 文泉子は「碧梧桐は調子の天才だ」といった。音調も感覚的要素であるから碧梧桐の立場がそこにある事は愈々明らかである。碧梧桐の句といへば桔据難解のやうに世間では思って居るが、決してさうでないことは此句集が證する。初期の句は、どうしても概念的であるを免れないが、歴史的位置を占めて居る句として掲げて置いた。佳句は明治三十八九年頃より四十一年頃までのものに多い。殊に東北行脚中のものには、なかなかの絶唱がある。
 一度新傾向の聲に驚いてから碧梧桐は、局分されたる感覚に瞑想を加へて横道に外れて了った。さすがに行脚をして居るから實境の見る可き句もあるけれど、四十三年以後になると、殆ど拾ふ可き句がない。俳人碧梧桐を再び見ることは出来ないと思ふ。信に惜しいことである。其故にこれは序文にして又弔文である。
  
 大正四年十二月五日   於千駄谷寓居  乙 字 識」
 
・・・・碧梧桐も乙字も忘れられた俳人である。俳論家の乙字らしく理詰めの碧梧桐押しである。碧梧桐は調子の天才と評したのは俳句は韻律詩であることを証明している。芭蕉も舌頭に千転せよ、と論じたから俳句の骨法である。


 掲載の俳句は冬の部 立冬の句にある。

 出羽人はヤフー知恵袋の回答に「出羽国の人間の事だと思います。
出羽国とは今の秋田県と山形県を合わせた地域です。」とある。

 今朝の冬は「立冬の日の朝。引き締まった寒さの感慨をいう語。 [季] 冬。」ですが今まで使ったことはない。

ブログ「水牛歳時記」の立冬から抜粋すると、

「二十四節気の一つで、太陽が黄経二二五度の点を通過する時点を言う。新暦では十一月八日頃になる。暦の上ではこの日から「冬」である。「りっとう」という言葉の響きが硬いせいか、俳句では「冬立つ」「冬に入る」「冬来たる」と用いられることも多い。また立冬の朝を「今朝の冬」と言うこともある。」

・・・はてどこの山を指すのか、興味津々です。何度も口にして読むと確かに調子が良い。なるほど納得です。
 今朝も猿投の山がくっきり見えている。窓からは雲一つない快晴の朝です。北は曇りがちだが東は段戸高原の山々が見えている。確かに立冬よりも今朝の冬の方が使いやすい。今は神無月で2019年の場合は10月28日(月)~11月26日(火)に当たる。
  神留守の猿投の山に対面す    拙作
  くっきりと猿投山見ゆ今朝の冬  拙作

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