段戸山(鷹ノ巣山、出来山を含む)をめぐる沢、谷、洞2019年08月26日

 昨日は栃洞を遡行した。
 山一つ西は滝洞という。その西は鰻沢という。栃洞の東は西川谷、さらに東は弁天谷という。北へ椹尾谷、本谷がある。以上は豊川水系の支流になる。鷹ノ巣山の北側は矢作川水系になる。北西には井戸沢がある。寧比曽岳には沢名の記載がない。出来山の足助側には信玄沢、枯木沢があり、全体は信玄の金山の名残りとして金沢の地名がある。
 沢名は愛知県から木曽山脈、飛騨山脈の屏風の東側の名称である。西側は谷名になる。洞は岐阜県に多い気がする。意味は「大木や岩などの、うつろになったところ。ほら。ほらあな。」「崖(がけ)や岩の中の、うつろになった穴。ほら穴。」が一義的な意味だろう。確かに栃洞を歩いても岩のポットホール(甌穴)が多かった。
 それでは沢と谷が入り混じった川はどうなのか。例えば富山県側に入る黒部川の源流部は谷のはずだが、赤木沢、五郎沢、祖父沢、薬師沢など数々挙げられる。これらは東日本の信州側から多数の人が入って持ち込んだものだろう。黒部川を国境とする見解もあったらしい。
 結局愛知県の設楽町には沢、谷、洞が入り混じっているが、沢は信玄沢の名称でも推測できるように甲斐の人が多数入った証拠だろう。設楽町には縄文遺跡があることから東日本文化圏だったと思われる。洞はその形状から来るのだろう。
 すると弁天谷はどうか。愛知県尾張地方には弥生遺跡が出土している。谷の文化圏の関西からも多数の人が来たと思われる。
 コトバンクから引用すると
「弁才天 べんざいてん
仏教の守護神。
知恵,弁舌,技芸の女神。もとはヒンズー教の河神。8本の手で各種の武具をもつ座像,あるいは2手で琵琶(びわ)をもつ座像として表現される。日本では奈良時代から弁才天信仰がはじまり,江戸時代には弁財天ともしるされ,蓄財の神,七福神のひとりとして庶民の信仰をあつめた。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例」とあった。比較的新しい歴史がある。
 当貝津川と栗島川(上流で西川谷と弁天谷と変わる)の出合いには赤沢弁財天があり霊水をウリにしている。つまり信仰が由来だった。

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