エミール・ジャべル『一登山家の思い出』(尾崎喜八・訳)を読む2019年08月13日

 今夏は穂高連峰に挑戦。敢え無く天狗のコルで敗退した。

 8/11の夜、岳沢小屋で瞑想した。この時、尾崎喜八の名訳でなる『一登山家の思い出』がふと浮かんだ。
 我々が敗退を決めたあの天狗のコルこそはジャベルの言う”コル・デ・パレッス(怠け者の峠)”ではないか、と。
 古書で買った文庫本が見つからず、検索で以下がヒットした。特に⑦を読むとヨーロッパアルプスであれ日本アルプスであれ、変わらないのだと、思う。

 ジャベルのことども
https://aach.ees.hokudai.ac.jp/xc/modules/Center/Review/trance2/arctic.html
 本書「一登山家の思い出」はジャベルの死後、その残した手記から友人のエドワール・ベラネック教授が登山紀行17編、随筆1編を選んで年代順に編纂して出版したものである。ジャベルはウィンパーやママリーやティンダルのような大登山家とはみなされていないが、山岳文学の古典として残る本書の著者としての地位は高い。友人のE.ランベールは序「エミール・ジャベル」で彼の登山について次のように述べている。

「ジャベルは山に対して一つの熱情を持っていた。彼には永くアルプスの脚下を離れて生きる事は出来なかった。アルプスは彼の上に一種の魔力をふるっていた。彼の心は平野の風景の魅力を等しく理解する程に自由だった。しかし、アルプスの自然が形と現象との種々相をもって人格的象徴の無尽蔵の世界を彼に提供した時、平野の風景は彼の眼には単に風景としか映らなかった。遥かに見える山頂、それは彼自身だった。あの別の山頂、それも亦彼自身だった。 ~中略~ 彼が山頂に達することは、学者が何かを発見する喜び、才能の士が追及して遂に至上の努力によって見出す喜び、それに似た喜びを手に入れる事だった。」

「トゥ―ル・ノワールの初登攀」の中の次の一文は、ジャベルのアルプス初登攀の感激を記したものであるが、山に対するほとばしる情熱を見ることができる。

「未だ何人の足も置かれた事のない或る山頂を踏むことには、単なる自負の満足意外に全く別な何物かがあるのである。其処には魂の奥底に直接触れる一つの痛々しい独特な感じがある。それは、これらの岩が最初に存在して、大空の下にその誇らかな裸体を掲げた数へ切れない時以来、何人も未だ其処を訪れず、如何なる眼も今君の見ている物を見ず、世界の開闢以来其処につづいていた沈黙を破った最初の声が君の声であり、そして人類の最初の代表者として此の野生の領域へ現れる特権を受けた者が、群衆の中から偶然にも選抜された人間、即ち君であるという事を、君が自分に言って聞かせる事に他ならない。~中略~
 我々の野蛮な祖先が、当時まだ森林におほわれていた、そして其処に今日では我々の耕作地や都会が広がっている土地を、初めて自分達の物にした頃、もしも或る小高い所へでも登るような事があると、彼らは一つの石の小山を積み上げた。古いケルト語を保存している英吉利の登山家達が、いまだ口にするあの積(ケ)石(ルン)を。同様に吾々も、自分達の山の処女山頂をきはめる度に、太古の伝統にしたがうというよりも寧ろ一種の本能から、同じ事をする。そしてその積(ケ)石(ルン)は、彼等祖先にとってと同様に吾々にとっても亦、単に個人的な虚栄心の記念碑ではないのである。それは何よりも先ず次のような事を意味する。『人間が此処へ来た。今日以後この一角は人間のものである。』」


http://www.ozaki.mann1952.com/index.html
詩人 尾崎喜八
1892〜1974
ジャベル『一登山家の思い出』からの転載です。

      「二夏の思い出」を編集しました。
① アレートを伝わって行くと高さ約一〇メートルばかりの絶壁の立っている地点へ達する。そこはかなり危険で、未熟な者だと助けなしには越えることができない。もっとも右手へ降りて捲いて行くこともできるが、岩登りの心得のある者にはおもしろい場所である。

② 熟練した者ならば、西方に面した岩組を攀じてたいした苦痛なしに直接山頂へ登ることができる。しかし、岩壁の透き間とか、踏みはずしやすい場所とか、岩庇とか、その他岩登り家の不思議な偶像に対してあまり執着を持たない人たちのためには、シュザンフを眼下に見てしばしば雪に被われている斜面の横腹を通って、そこから最後の肩へ達する方がいっそういい。サルヴァンのガイドたちはこの肩にコル・デ・パレッスー(怠け者の峠)という名をつけた。

③ シャンベリーのガイドは単にダン・デュ・ミディ峠と呼んでいる。しかし、怠け者峠の名こそ万才である!

④ 実際、人が楽々と坐っても、もうプラン・ネヴェの氷河や、六つの尖峰や、ペンニーンの連山や、トゥール・サリエールや、モン・ブランの球帽を眺めることのできるこの峠からは、反対に、ダン・デュ・ミディの最後の斜面がまだ長々と、疲労に顫えている脚膕ひつかがみや、使い果たされた肺臓に対してひどく長々と、かつは急角度に峙っているのが見られるのである!

⑤ 怠け者は顔を上げ、元気のない一瞥で距離を測り、杖や囊を投げ出し、それから身を倒して、もう先へは進まないと断言する。そして、こんなことは毎夏一度以上もあるのである。サルヴァンのガイドたちはばかではない。怠け者峠とは旨くつけたものだ。そうではないか?

⑥ 真の登攀家はそこでは立ちどまらない。しかし、大多数の登山者はそこで気持ちのいい駐屯をする。その後でたまたま一人の怠け者がまた顔を上げて仔細に距離を測り、最後の努力を試みようと勇敢な決心をし、途中二十度も足を停めて自分の決心を半分ぐらい後悔しながら。それでも結局他の山頂と同じように誇らかなその山頂へ達するのである。

⑦ しかし、親愛な読者諸君、もしも諸君にしてコル・デ・パレッスーは単にダン・デュ・ミディだけにあると信じるならばそれはまちがっている。モン・ローズにせよモン・ブランにせよ、またその他の山にせよ、すべて苦しい登路を持つ山嶽の大多数には、その半腹にこの峠があるのである。またあらゆる道徳的高所への途上に、学問の半途に、徳の半途に、この峠の存在することも事実ではなかろうか。勇気ある者は追求して、結局は到達する。臆病な者は斜面を測り、絶望し、中止する。そして、彼の努力はといえば、失敗の恥を贏(か)ち得ることに役立つだけである。
 ああ! 称うべきはコル・デ・パレッスーでのエネルギーである。