伝説としての姥捨て、現実としての棄老2019年07月03日

 朝はどんより、雨が降らないだけまし。10時に合流して、高齢者福祉施設に向かう。道を間違えて本部に行ってしまうが、時間に余裕をもっていたために15分の遅刻で済んだ。相談者のご夫婦は首を長くして待っておられた。
 地銀の相談会で契約が成立。そのうちの1件は相続問題がこじれて、成年後見制度利用がらみの解決策を提案。すぐに依頼を受けた。ご夫婦は相続人ではなく、姻族になる。ご主人の亡父は実の親、後添いの妻つまり義母の相続の問題解決のために、ともかくご本人に面会する必要があり入居施設を訪問した次第。
 会ってお話を様々に振ってみた。生年月日も即答するし、とても認知症というほどではなく、法定後見の申し立ては無理か、と疑う。そこで任意後見を勧めるが、一方的な判断ではなく、施設側の医師の判定も勘案することとなった。
 義母さんはとても明るい性格、積極的に話を仕掛けて話題の中心になるようだ。ある意味では強気ともいえる。
 歩行は不自由であるが、笑顔が素敵で、歯並びもきれいなので自分の歯かどうか聞くと、全部自分の歯だった。これなら認知症でどうしようもなく、進むことはあるまい。認知症の人で入れ歯の人にインプラントの施術をすると認知症が改善すると聞いた。噛むことは脳の神経と強くつながっているのだろう。

 出身地が長野市というので、善光寺さん、黒姫山、戸隠山、飯綱山の地名を話すと乗ってこられた。そして顔の表情も明るくなった。「長野へ帰りたい」としきりに言われた。望郷の念ひとしお、という気がする。かといって、義母さんはは88歳になり、故郷にはもう身内は居ないのである。加賀城みゆきの「おさらば故郷さん」のフレーズが浮かぶ。

https://www.youtube.com/watch?v=LY6nc7DB5rc

 なんとも切ない歌詞である。

 あまり長居もできず、施設の責任者と情報交換することとし、以後の方針を立ててゆくことになった。正常で自分の判断が可能なら任意後見とし、とてもひどいなら法定後見とした。先ほどの元気と正常に見える様子は一時的ものかも知れない。普段から観察する人の判断が必須である。
 面会のお礼を述べて施設を後にした。
 姥捨山では老母はただ死あるのみであった。
 法治国家の現代は死の前に財産管理などの終活が必要になってきた。一筋縄ではいかない課題が山積する。

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