九十三の手足はかう重いものなのか思はざりき労いたはらざりき過ぎぬ 土屋文明2019年06月07日

 今朝は雨。見えていた猿投山も今は大降りになって霞んでしまった。
長い電話を1本こなす。

 作者の土屋文明は「土屋 文明(つちや ぶんめい、1890年(明治23年)9月18日(戸籍上は1月21日) - 1990年(平成2年)12月8日)」で100歳まで生きた長命の歌人である。

 要旨は93歳になると自分の手足さえ重いと思わざるを得ない。特に労わることもなく生きてきたからなあ。と解した。

 昨日も名古屋の国際ホテルの前で3台がからむ交通事故の直後に遭遇した。朝刊に詳細が乗っている。曰く87歳の弁護士が運転していてホテルの地下駐車場から公道に出る際にアクセルを踏み過ぎて暴走した、とあった。このところの事故は87歳が多い。80歳台になると色んな生理機能が衰えるのは致し方ない。
 ブレーキとアクセルの踏み間違いも多い。事故の報道から見えてくる高齢者像を考えるうちに表記の短歌が浮かんできたのである。要するに筋力の低下である。低下した筋力は自分の身のうちでさえ重力を感じるのだ。伸びきったパンツのゴム紐と同じで軽いパンツでさえ支えきれない。微妙なコントロールもできない。
 すると、運転中にはハンドル操作、アクセルやブレーキの機敏な操作、メーター、オーデイオの操作など結構複雑な操作を走行中にやっている。目の視力も基本的には筋肉の動きなので当然危険を察知する能力も落ちる。
 高齢は仕方ないとしても自分をこの歌のように客観化することは必要である。社会に迷惑だからと遠慮して折角の文明の利器から遠ざかるのももったいない。タンパク質、ビタミンの摂取に務めて健康と活力を維持してもらいたい。

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