面軆をつゝめど二月役者かな 前田普羅2019年02月20日

 昨日は雨水だった。暦通り雨が降った。高い山では多分雨と雪が混じった春雪だろう。ぼたん雪のような湿雪がふっただろう。以前の雪は表面クラストしているから弱層になった。弱層の上に重い雪が積めば雪崩やすくなる。一方で、地面と接する根雪の下はもう解けているところもある。これが極まると底雪崩になる。春山は楽しい。しかし、気象の変化は激しい。

 さて、表題の俳句は、今朝の読売新聞朝刊の「四季」に採りあげられた。長谷川櫂の執筆。2月になってようやく新年のあいさつ回りに出かける。顔を知られた役者なので手ぬぐいなんかで顔を隠しているがそこはかと色気が漂う。江戸趣味が粋。普羅は演劇を愛していた時期があった。本来なら、年賀客には礼者という新年の季語がある。
 普羅句にも

  雪掻けば直ちに見ゆる礼者かな

がある。二月礼者の季語もある。「正月には芝居関係、料理屋関係の人々は年始の礼にまわれないので、二月一日に回礼する風習があった。この日を一日(ひとひ)正月、二月正月、迎え朔日、初朔日といった。正月のやり直しをする日と考えるのである」(平井照敏)。というわけで二月礼者の礼者を役者に転用したか。
 私がよく聞く女性の演歌歌手も外出時は帽子をかぶったりマスクをしている。人気者はファンから目ざとく見つかりやすいから用心するのだ。

ねばならぬことさはにあり春満月 拙作2019年02月20日

 夜7時過ぎに外出したらなんと夜空には美しい春満月が輝いていた。しかも大きく見える。春の月といえば朧月が浮かぶが、今夜は秋の澄み切った空気に輝くようにも見える。また冬空の寒さを引きづっているかに思える。今一度、窓から見上げたらもう雲がかかっていた。月に叢雲花に風とはよく言ったものである。
 天気図を見ると大陸の高気圧が近づき明日は晴れる。シベリア大陸からの気団なので相当な寒気をともなう。だから澄み切った空なのか。ただし、雲も連れだって移動してくるという。たしかに高いところには雲が流れている。
 春特有の寒気と暖気がせめぎ合いながら季節が移り変わってゆくのだろう。

雪洞は墓穴か?2019年02月21日

 大多数の山岳遭難は天気のせいではなく、自分の判断が甘かったことに帰する。
 先の神楽ヶ峰の遭難者は雪洞を掘ってビバークしたという。自ら墓穴(になりかねない)を掘ってしまったことを反省。なぜ、墓穴を掘ってしまうのか。経験や技術への過信から来る傲慢、自惚れであろう。
 リーダーの役割は、追随者に墓穴を掘らせないこと。自分自身の役割は、自分に墓穴を掘らせないこと。今の判断が、墓穴を掘ることににならないだろうか。それが雪山に挑戦するものの判断基準です。自ら知らないことを知る。