キャッシュを待機しています、の解決方法2018年11月27日

 ブログや検索がこのところ時間がかかってイライラする。今日は特にフリーズまでしてしまった。もう寿命かと思ったが、左下に表示するメッセージをググってみたら、解決方法が見つかった。
 https://aws2000.net/?p=539
の中に説明があり、
「Chrome のアドレスバーに、

chrome://net-internals/#dns

と、入力します。(もちろん、これをコピペでOK)」を実行してみたら、ちょっと早くなった。

更にブログの使わない項目やアクセスランキングなど不要不急のファイルを削除した。表示する件数を減らした。LINE,TWITERの対応を止めた。拍手を止めた。要するにPCに負荷を与えていたものをやらないことにした。

更にさらに
https://blog.ahmon.net/googlechrome/
も実行した。

するとどうだ、ウソのように軽くなった。
今までは不要なファイルを削除するディスククリーンアップとデフラグくらいだった。それでも早くならないのでもう寿命を覚悟していた。
一応、PCのクラッシュや重大なトラブルに備えて、中古PCを用意してある。或いはキャッシュメモリの増設も考えてみた。

やって見るものである。

『新撰美濃志』の中の恵那山2018年11月27日

 『新撰美濃志』の成立は江戸時代末期。一信社版(訂正版)は昭和6年の刊行、復刻版は昭和47年に岐阜市の大衆書房から刊行された。
 緒言には尾張藩の岡田啓の遺稿という。天保初年頃から彼の晩年に到るまで前後実に三十年の星霜を閲して出来上がったのが、この『新撰美濃志』三十巻である。」と。
 その中の恵那山に関する歴史民俗の記事を抜粋した。

阿木村は冨田の北にあり。和名類聚抄に「惠奈郡安岐」とある旧郷、また美濃神名記に「惠奈那從四位上阿岐明神」としるしたるもここなり。「岩村領千五百八十九石六斗四升」「阿木川」は当村の山より出でて大井宿の方へ流る。
 「阿木風穴」阿木山にあり。「血洗社」は阿木山の麓大野平にあり。神代のむかしある御神ここにて御子を産み給ひ、胞衣を洗ひ給ひし跡なりといひ傳へ、血洗池という古跡ものこり、また惠奈山の名もそれより興りしより里老いへり。

・・・・ウィキペディアによると「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)は、平安時代中期に作られた辞書である。承平年間(931年 - 938年)、勤子内親王の求めに応じて源順(みなもとのしたごう)が編纂した。略称は和名抄(わみょうしょう)。」だから古い。
 恵那は平安時代からあった古い地名である。阿木山は現在の地形図からは特定できない。

 検索にヒットした「安岐郷誌」によれば「あぎやまとは阿木の生活域から東方向に見られる山の総称。焼山付近までを含む阿木の山岳地域一帯を示す言葉として使われることが多い。ただし正確な定義はなく、狭義には天狗森山や橋ヶ谷山、あるいは焼山などを示す場合にも使われ、その意味する所は人や世代によって様々である。阿木の生活や歴史に深く関わってきた山である。」さらに焼山は「やけやまは上矢作・長野との境界近くに位置する山の名前。全国にある他の焼山と区別するために美濃焼山と呼ばれる事もある。焼山という名は山のあちこちで炭焼きの煙が立ち上っていた事に由来している[1]。」という。

ソース:「安岐郷誌」http://agimura.net/index.php5/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

 個人的には、焼山ではないか、と思っている。agiyamaとyaki(ke)yamaの耳から入る地名の違いか。焼山の南西の無名の三角点は通称ロクロ天井といい、点名は阿木である。麓に木地師の墓がある。
 安岐郷誌は炭焼きの煙と書くが、木地師の炊飯の煙とも言えるし、彼らの食料になった蕎麦、粟、稗などを生産するために山を焼いたから、その煙ともいえる。春に山焼きをして種を蒔き、夏に刈り取る。夏になっても焼いて採れる山は夏焼の地名が残る(稲武町など)。木曽峠にはずばり夏焼山がある。

 R363のキャンプ場(現在は廃止された)の近くの三角点の点名が血洗という。
 血洗は当然エナを洗ったことに因む。明治時代以前のエナは何かに包んで、素焼きの底なしの壷に入れて埋設されていた。これは埋甕といった。
 ウィキペディアによると「埋甕(うめがめ)は、縄文時代の深鉢形土器を土中に埋納した施設。
 縄文中期から後期にかけて関東平野や中央高地で見られる習俗で、縄文後期には中央高地では衰退し、関東平野では継続した。
 埋甕は住居の内部(出入口部)に営まれる住居内埋甕と住居外に営まれる住居外埋甕があり、複数営まれる場合もある。土器は煤などが付着されていることから日常的に使用されているものが転用され、特に口縁部が平なものが選ばれる。正位または逆位で配置され、正位の場合は石蓋があることもあり、口縁部や底部が破損または底部が意図的に穿孔されている。
 住居内埋甕は民俗事例などから乳幼児の埋葬施設や、幼児の健やかな成長を祈念し胎盤(胞衣)を埋納した胞衣壺であると考えられている(木下忠による)。内部の埋納物は例外的に土器や石器が含まれることがあるか明確に確認された例がなく、残留脂肪酸分析も行われているが胞衣が含まれているかは不確定である。以下略」
 実は設楽ダム建設の現場に近いところでも愛知県埋蔵文化センターの発掘事業が行われていて、素焼きの甕が発掘された。意外なところにも縄文文化の遺跡があったものである。
 エナの埋蔵は非常に普遍的な文化の所産だった。
 その文化がアマテラスのエナを山頂に埋蔵する伝説にまで発展させたのは一体なぜなんだろう。