秋の夜や遺影も山の姿なり 拙作2018年10月29日

 10月28日の朝、また一人静かに山友Nさんが逝った。20年年長の88歳だった。30年以上の交誼を得た。認知症にもならず、最期まで私の顔が分かった。

 Nさんの「良く山へ行ったなあ」が最期のお別れの言葉になった。

 10月29日はお通夜に参列させてもらった。その一句である。

 10月11日に用事があって法務局名東出張所へ行った際、何か引きつけられるように引山の介護施設を訪問。本人に用事があったわけでもないのに。それから17日後に息を引き取った。家族の話ではまた来てもらいたかったそうな。多忙で行けなかった。
 スマホで9月15日のNHKのゆる山へGO「三ツ瀬明神山」の録画を見せたが余り興が乗らなかったようだ。もうそんな気力も失せたのだろう。食べられなくなると体力がなくなり衰弱する。これがまあ摂理である。
 故人とは実に多く山行を共にした。その結果『ひと味違う名古屋からの山旅』(七賢出版)にまとまった。その中の写真に多数掲載されているが、故人はいつも笑顔の写真ばかりと編集者が笑っていた。根っからの山好きであった。
 私は30歳代名東区松井町のアパートに住んでいた。故人も指呼の所に住んでいたから毎週木曜日の夜になると「おい今度はどこだ」「あの山・・・」というと「俺も行く」でまとまった。朝3時とか4時出発でキ印然としたやり方だった。二人とも無名山を狂ったように登りまくったのである。
 電話口を通じてそばの家族の非難の声が聞こえてきた。男の声で「おいまだ山登りなんかしているのか」と。息子さんだろうか。親の山狂いに呆れているのだろう。あれから三十余年、息子さんが弔辞を述べられた。「父は山が好きだったんです」と。
 彼の世ではU先生と9年ぶりにUクラブを再開されただろう。3月に逝ったOさんともやあやあと一杯やっているのかな。Fさんとコンビを復活するか。夢のような登山三昧の人生だった。