有る程の菊抛げ入れよ棺の中 夏目漱石2018年10月04日

 ブログ「私の愛する詩」で 俳句の背景を葛引すい子さんが書いている。

 「漱石の随筆『硝子戸の中』二十五、『思い出すことなど』七に、この句が記されています。後者の場合は「有る程の菊抛(な)げ入れよ棺(かん)の中」という表記になっています。
 
 大塚楠緒子は歌人、作家として明治の末に活躍した女性で、才色兼備との呼び声も高く、当時流行の「閨秀作家」の代表格として名をはせましたが、若くして亡くなってしまいます。漱石が彼女の死に寄せて詠んだのが、この句になります。

 『硝子戸の中』には、ふとすれちがった彼女の顔のうつくしさに、漱石は誰とも思い出せぬまま“じっとその人の姿に見惚(みと)れていた”ことが書かれており、またほかのエピソードを上げて、彼女の控えめな優しさについて思いをはせています。それらをふまえてこの句を読むと、純粋な哀悼のほかに、なんとなく男女の情愛めいたものを感じそうになってしまいます。
 また、それら背後のことを抜きにしても、死者をおさめた棺の中を、持てるだけいっぱいの花で埋めたい、と願う気持ちにはひたすらに胸を打つ切なさがあります。」

 9/30に、叔父が93歳の生涯を閉じた。大往生であった。5人の兄弟の中では体が弱かったにもかかわらず、一番長生きした。
 それで10/2のお通夜は行けなかったが、10/3の告別式には参列した。名古屋から三重県まで約100kmの道のりを走った。四日市市にかかると平日で大渋滞した。朝6時半に出たのに津市北部でもう9時になった。急ぎ津ICへ入り、久居ICで降りて葬儀会場の虹のホールへ着いた。9時半になった。10時から告別式が始まった。
 家族葬にしたという。近隣の人の顔もなかったのはそのせいだ。それでいいと思う。参列者も代替わりして、従姉妹ばかりになり、その配偶者も顔も知らない。これで近隣の人が来られても知らない人ばかりだろうに。
 告別式後は、棺おけに花を投げ入れた。と言うよりそっと置いた。今時は花は多々あるが、私は菊の花をつまんで故人の顔のそばに置いた。安らかな眠りの顔だった。蓋が閉められて、霊柩車で火葬場へ、お骨拾いの後、また葬儀会場で読経。そして墓地へ、また延命寺の読経で終わった。1日がかりだった。
    ふるさとの空を飾るや鰯雲  拙作

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