支部報原稿脱稿2018年05月25日

 5月末で締切の支部報の列伝の原稿に悩んでいたが、最終的に亀山市出身の尾崎隆さんにした。手持ちの本は『果てしなき山行』しかない。あいにく書棚に見つからない。別の所にあるだろう。ネットで検索しながら情報を集めて行く。そして枝葉を整理。著作も結構多かった。
 拙ブログ小屋番の山日記「登山家・尾崎隆さんがエベレストで急死!?」
http://koyaban.asablo.jp/blog/2011/05/14/5861694
 アップ後、日本山岳会会員の方からコメントで日本山岳会会員であることを教えてもらった。

 ググってゆくうちに動画がヒットした。「登山家アルピニスト 尾崎隆」と題した亀山市公式ユーチューブだ。
 両親や兄弟の並んだ写真を含めて生立ちをたどる。亀山中学でも山岳部、四日市の高校でも山岳部で石水峡の鬼ヶ牙、藤内壁でのトレーニングに励む。
 愛知学院大学山岳部OBとの出会いから第二次RCCに入会。エベレストでの死までの業績を動画でたどります。
https://www.youtube.com/watch?v=wQMoEE-5cd4
2015年7月12日公開。
 地元にも大切にされている登山家だったんですね。「僕は、やっぱり花も木もある鈴鹿山脈が好きだな」と結ばれています。ふるさとの山は野登山でした。生死をかけてまで登山に明け暮れたが帰るところはふるさとの山である鈴鹿山脈だった。
 山慣れはリスク慣れなんだろうか。怖いはずが怖くなくなり、危険を冒してしまう。28歳、29歳にエベレストに登頂、49歳でもマカル―に登った。経験は充分なのに下山中に8400M地点で死去。高山病と伝えられている。30歳前後と60歳を前にした58歳との年齢差はもはや別人ということなのだろう。成功体験は忘れよ、という加藤幸彦の言葉に重みがある。
 ヒマラヤから無難に生きて下山するのは登頂よりも難しいことを今回の尾崎隆の業績を概観して痛感した。5月21日にエベレストを下山中の栗城史多さんの死亡が伝わった。同日、大城和恵さんのエベレスト登頂も伝わった。彼女のコメント「前略、絶対に下山でミスをしないぞ!生きて還るまで、気を抜かないようにしよう。」いや、この心意気あればこそ。
 ヒマラヤのような高峰だけではない。JAC広島支部の幌尻岳の事故や新潟の松平山のあの親子だって下山を誤った。我々も下山を誤らないようにしよう。

行政書士会中央支部総会2018年05月25日

 4月から総会ラッシュだが、5月も終盤になってラッシュ気味だ。20日はJAC東海支部の総会、27日はマンションの総会、31日は愛知県行政書士会の総会、6月23日はJAC本部の総会で終わる。株主総会もそのころに終わる。
 25日夜は行政書士会中央支部の総会だった。例年は第3土曜日に集中していたが、分散して、今回は平日夜になり出席可能になった。名駅前のアソシアホテル14Fで、若い女性支部長の中村氏、愛知会の前田会長があいさつにたって、型どおりの総会を済ます。448名の会員総数に対し61名の出席者になった。委任状を足して総会成立。事業報告、会計報告も意見、質問もなく進行。無事に終わった。
 懇親会は51Fに上がって宴会になった。市議、県議、国会議員の先生方の紹介とあいさつが終わってごちそうを食べて懇談した。出席は3年ぶりくらいか。顔ぶれは幹部級は変わらないが、新しい人らは年々変わる。新規参入、廃業もあるし、死去も結構ある。今回も式の最初に物故会員の黙祷があった。
 私も開業以来8年目になった。10年経ったら注文があるようになるよ、とアドバイスしてくれた人がいた。あと2年の辛抱だ。修業と宣伝の期間だったのだ。しかし、いつ死んでもおかしくない年齢になった。いつまで持ちこたえるか。正念場に来たと言える。