美濃高須葵それぞれ麦の秋2018年05月23日

 奥山景布子『葵の残葉』(文芸春秋)2017年12月刊。去る4月に新田次郎賞を受賞した歴史小説だ。取り上げたのは5/20付け読売新聞のコラム「東海の風」。”名古屋から見た幕末史”と出した記事に目を吸い寄せられた。青松葉事件の石碑のことだ。歴史に疎い当方はそんな石碑があったのかと思った。
 記事をちぎって本屋に走って買い求めた。歴史には疎いが、地元名古屋発、否東海地方発の歴史なら無関心では居られない。
 昨年も豊橋市の書店で『三遠の民俗と歴史』7号で姫路城主の池田輝政の出世は吉田城主時代にあった、という論考を読んだ。折しも、ポタリングで長久手古戦場をへめぐり、偶然に姫路城に行ったり、池田町の池田山に登って池田家の墳墓を見学したりと小さな出来ごとが収斂するので大いに興味深く読んだ。そして当会に入会させてもらって歴男のデビューをした。
 実は尾張藩御用達商人の末裔で、山岳映画の嚆矢だった伊藤孝一の出自を調査するために林董一の『名古屋商人史』(中部経済新聞社)、『尾張藩漫筆』(名古屋大学出版会)や『将軍の座ー御三家の争い』(文春文庫)は読んでいた。
 改めて『将軍の座ー御三家の争い』を読むとその中に読み飛ばしていた「勤王か、佐幕か」の見出しがある。結局、慶勝は”泣いて佐幕派を斬った”のである。皇室の権威は徳川家より重かった。青松葉事件の真相は関係者の緘口令で解明はされてない、とは先の読売新聞の記事にある。
        美濃高須藩とはどこにあったのか
 『葵の残葉』はすでに知られている歴史的事実を美濃高須藩出身の四兄弟の運命に絞って書いてある。ところが美濃高須藩といわれても無関心でいた身にはとんと思い浮かばない。そこで『尾張藩漫筆』の”わが高須藩”をよんでみたのである。高須藩は尾張藩の支藩だった。明治以降、名古屋藩と合併し、明治4年に岐阜県が成立するまでの短命に終わった。
 昨日は午後遅くになってから高須へ行ってみた。知らない所ではなかった。東海大橋経由で美濃から名古屋を往来する際に通過する街だった。「馬目」(まのめと読む。)の交差点を南へ曲がった辺り一帯を高須という。南下すると高須という三叉路もある。昔は高須城と言う平城があったようだ。今はお堀が若干あるらしいがそこまでは見届けられなかった。
 街並みを外れると、広々とした水郷地帯であり、今は植田が広がっている。地味が豊かなせいか、一方では麦畑が広がる。麦秋というごとく今が採り入れ時期である。尾張国といえども尾張だけを領地としたのではなく美濃などにもあった。通りで『濃州巡行記』は尾張藩の藩士が書いたはずである。

 本書の巻末に高須四兄弟の写真がある。物語はこの写真から始まる。序 二見朝隈写真館と結 葵の残葉はともに写真にまつわるエピソードである。
 読み流してもそうかそうかで終わるが、もう一冊取り出した。徳川宗英『徳川家が見た 幕末の怪』(角川oneテーマ21)の最後に「高須四兄弟の写真を深読みする」に詳細が書いてあった。著者はこの写真はなぜ撮影されたかは謎としながらも、撮影日の明治11年9月3日にヒントがあるという。幕末の後始末に「一区切りついた」という説。ここでも青松葉事件に触れている。もし慶勝は佐幕派だったら名古屋城を中心に大戦争が起こっただろうと想像する。その内乱にイギリスやフランスが軍隊を投じていたら日本はどうなったか、と慶勝の複雑な胸中に想いを馳せる。
 奥山景布子氏も想いは同じだ。読売新聞の引用記事「内戦を防いだ尾張藩の貢献と苦渋はもっと知られるべきだ」と。これが執筆のモチベーションになったのであろう。そういえば奥山氏は高須とは木曽・長良川を隔ててそう遠くない津島市の生れだった。

追記
 史劇「山本八重の半生 会津のジャンヌダルク」
http://koyaban.asablo.jp/blog/2012/05/17/6448906
 6年前の今頃だった。会津藩対官軍の戦いを描いた。あの場面に敗軍の将として松平容保が登場。当時は美濃高須藩の出とは知らなかった。そしてこんな数奇な運命をたどったとも。

 ヤフー知恵袋で容保の動向を質問。回答「容保は所謂鶴ヶ城 の防空壕のような施設にいました。
 一旦は猪苗代湖方面に自ら出陣しましたが家来のすすめでお城に戻り采配や指示をしていましたが会津軍は撤退を繰り返し城内も野戦病院さながらの状態になります。
 そこへ隣の米沢藩から密書が届き「官軍とは薩長の私兵ばかりかと思っていたが越後の長岡藩を攻略したのは仁和寺官嘉彰親王で誠の王軍であって当藩(米沢藩)は官軍に下ることにした。貴藩もそのようにしてはどうか」と言う内容でした。
 新撰組を共に京都守護職を勤め天皇と直接関わりを持っていた容保はもはや逆らえない状況を感じ白旗を掲げて降参」した。開城。
 山本八重
 明日の夜は何国の誰かながむらんなれし御城に残す月かげ

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
日本で一番美しい山は?
ヒント:芙蓉峰の別名があります。

コメント:

トラックバック