5年間で15倍増 家族関係の希薄化背景に2018年05月14日

https://mainichi.jp/articles/20180514/k00/00m/040/049000c?fm=mnm
 これも世相か。家族崩壊といわれて久しい。一方で「お一人様」「孤独を楽しむ」「極上の孤独」「家族と云う病」といったキャッチフレーズの本が売れている。
 家族はそんなに疎ましいものになったのか。
 それじゃ、大家族主義が良いのかというとそうではない。もともと民法は破綻法と習ったように家族でも常に離合集散がある。小津安二郎の「東京物語」は家族の崩壊を描いた名作である。「最後はみんなばらばらになるのよ」「自分の生活で一杯なのよ」といったセリフが出てくる。映画自体がアメリカの生命保険会社のPR映画の換骨奪胎だった。世界共通なのである。欧米でも人気があるという。
 人生の別離を前提に幸せを願って多くの習俗が生れた。
 例えば、山を歩くと白樺、岳樺、ウダイカンバ(鵜飼い樺)などを見かける。この樹種の皮はよく燃える。山に暮らす人や猟師らは皮をはいで、いざというときに種火にして焚火を起こす。雪の上でも焚火を熾せる。
 「華燭の典」の樺はカンバのことで、結婚式の異名である。結婚した2人が末永く燃え続けるようにと願っての意がこもる。逆に言えばそれだけ夫婦の縁ははかないものなのである。
 誰もが何らかの離別、死別を経て1人になってゆく。その最終形が孤独死ということか。
 先だって、母校の法科大学院の民法の教授から幸福学を受講した。幸福になるためには他人とのネットワーク構築が欠かせないと教わった。孤独死する人は多分、SNSすらつながっていないのだろう。
 かつて林梧堂だったと思うが「独身は文明の奇形である」と喝破した。検索してもヒットしないから忘れられた人だろう。要するに文明に支えられて困難な生活を維持していけるのである。
 リスクとは今はもっぱら危険を意味するが、投資家向けサイトに「アラビア語で「今日の糧を得る、明日の糧」といった意味の「risq」である。中略「目的を持って厳しい状況に身を置く」、あるいは「その環境」を意味していることが分かる。」とあった。
 リスクとは語源的には今日食べて生きることである。当該記事に「明日もまた 生きてやるぞと 米を研ぐ」との張り紙をして死んでいった人がいた。60歳代というからまだ若い。人生に欠けているのは、食べ物の充足だけではなく、他人とつながりたいという心の充足である。唯物論と唯心論の融合である。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
日本で一番美しい山は?
ヒント:芙蓉峰の別名があります。

コメント:

トラックバック