人体冷えて東北白い花盛り 金子兜太2018年02月21日

 今朝の目覚まし代わりに聞いていたNHKラジオで金子兜太の訃報を知った。お悔やみ申し上げます。
 俳人・金子兜太と聞いてとっさに浮かんだ句が表題の俳句である。どんな花か具象性はないが、読み手には辛夷の咲く早春を想起させて印象深い。
 金子兜太の左翼の思想性にはついになじめなかったが多くの俳人に影響を与えた点で評価される。
 何がきっかけか忘れたが、つい最近も1985年の『わが戦後俳句史』(岩波新書)や1999年の『俳句専念』(ちくま新書)、2011年の『俳句を楽しむ人生』(中経文庫)、その他を取り出して枕元に並べておいたばかりだった。
 どの本も生涯俳句から離れられなかった人生の書です。『わが戦後俳句史』には「自分の生き方を第一としながらも俳句から離れられなかった者の俳句史もありうる」と思い、「俳句形式のもともとのあり方はそういうものであり、その意味で、俳句の日常性や記録が大事とされている」と書いた。
 書いている内に思い出したのは1980年の講談社現代新書『小林一茶―<漂鳥>の俳人 』を読んだことが金子氏に興味を持ったきっかけになったかも知れない。秩父の医者の家に生まれ、東大出の日銀のエリートの人生から外れてしまった。それと戦争の荒波にもまれたことだろう。終戦時26歳という若さで戦後の混乱期を生き延びた。一茶も波乱を生きた。37歳で俳句専念を決める。
 以前にも書いたが、前衛俳句なるものは今はどうなのか。虚子の有季定型に反発して様々な形式が流行ったが今に続くものはない。線香花火のように一時期をパッと明るくはするがその後は続かない。金子氏の死去ではっきりするだろう。俳句を言葉の断片にした。日本語の韻文としてはしまらない。金子氏一代限りの詩形であったと思う。

 WEB毎日新聞から
訃報
金子兜太さん98歳=俳人 前衛俳句、戦後をリード
「前衛俳句の旗手として活躍し第二次世界大戦後の俳壇をリードした俳人の金子兜太(かねこ・とうた)さんが20日、急性呼吸促迫症候群のため、埼玉県熊谷市の病院で死去した。98歳。葬儀は近親者のみで営む。後日お別れの会を開く。埼玉県生まれ。1937年、旧制水戸高校在学中に俳句と出合い、加藤楸邨に師事した。

 太平洋戦争下の43年に東京帝国大を卒業後、日本銀行に入るが、すぐに海軍へ。主計中尉として南洋のトラック島へ赴任し、同島で終戦を迎えた。捕虜生活を経て46年に復員。戦後は日銀勤務の傍ら、俳誌「寒雷」「風」を舞台に活躍を開始した。

 思想性と方法意識に富む作品から、「社会性俳句」「前衛俳句」といった新潮流の代表と見なされた。俳句造型論の提唱など、自らも積極的に論争に参加。同時代の短歌などにも影響を与えた。

 56年、現代俳句協会賞を受賞。62年、同人誌「海程」を創刊した(のち主宰)。83年、現代俳句協会会長に就任するなど後進の指導にも努めた。2000年から同協会名誉会長。」

小平の金によろこぶ冬の八ヶ岳(やつ)2018年02月21日

 ピョンチャンオリンピックで見事金を獲得した小平奈緒さんは長野県茅野市出身。茅野市は八ヶ岳の麓の町。さぞや麓で育った女の子が大活躍して山も喜んでいるだろう。
 小平さんの活躍は偶然ではなかった。茅野市は本州でもっとも寒い所と言われる。氷がふんだんにあり練習場所には事欠かなかっただろうと想像してみた。
 とりわけライバルの韓国のイ・サンファ選手とは抱き合って涙を流した。ともに友人同士という。日韓の国家間のわだかまりを解かすような場面には日本国民として感動した。