人生の沙汰2017年10月29日

 今日は句会。句会に出句された中に沙汰という語彙があった。男女の恋のもつれから女が受け取った別れ話の手紙を浜辺に捨てた。女は男から棄てられたのだが、手紙を保持するいわれはないと廃棄したのであった。作者はそれを拾って読んでしまい、一句に詠んだ。その俳人魂のすごさに驚いた。
 沙汰とは一義的には「物事を処理すること。特に、物事の善悪・是非などを論じ定めること。」である。
 当方は地獄の沙汰も金次第くらいしか思いつかない。もっと記憶を探れば、ご無沙汰とか、色恋沙汰もある。警察沙汰になる、裁判沙汰にしたくない、音沙汰もない、など多々あった。
 あるブログをのぞいたら、「老後の沙汰も金次第」の表題に引きこまれた。地獄を老後に置き替えたのだ。
 HPのことわざの参考書から引くと
地獄の沙汰も金次第(じごくのさたもかねしだい)

【意味】
どんなことも、お金さえあれば思い通りにすることが出来ること。

【ゆらい】
じごくでえんまさまにさばかれるとき、お金を出せば手加減(てかげん)
してくれるということ。
以上
 転じて老後も金次第で思い通りになるという意味だろう。はたしてそうか。件のブログでは老人ホームの入居の金を云々していた。心の通わない老人ホームのお世話にならず、孤独死もいいじゃないか。
 今朝の読売新聞は孤立死のシリーズを開始。「孤立死17000人超」の大見出しが躍る。

 確か、曽野綾子氏は野垂れ死にの本を書いた。近藤誠氏との対談だ。ズバリ『野垂れ死にの覚悟』。目次から少し引くと
 独居老人五〇〇万人 野垂れ死にが普通になる
 介護はまず、汚物の洗濯が大問題
 長く生きることが貴い、という国民的思いこみ
 運命を呪い、最期まで怒鳴り散らす人々
 家で枯れるように老衰で死ぬのがいちばん快適
 親の介護をめぐる女たちの受難
 老人ホームの静けさ お喋りの楽しみ
引用は以上
 もちろん、曽野さんも近藤さんも野垂れ死にとは縁がないであろう。作家的な生と死の展望である。孤立死でも孤独死でも野垂れ死にである。人は誰かにいや家族や最愛の人にみとられて死ぬのが本望なのだろうか。今生の別れは誰にも悲しいことだ。
 
 俳人・松尾芭蕉の”野ざらしを心に風のしむ身哉”という句を思う。最後は俳句で締めくくった。