富山県~呉西と呉東、山と道の文化2017年10月11日

 10月8日初めて富山県の牛岳に登った。
 以前から前田普羅の
  牛岳の雲吐きやまぬ月夜哉   普羅
の俳句で名前だけは知っていたからだ。句意は八尾辺りから眺めて次々と雲が湧き起こる、そしてふっと消えて行く牛岳の自然への感興を俳句に詠んだのであろう。
 登ってみて、スキー場開発で多くのブナは失われたにちがいない。それでも鍋谷のブナ林は二次林として再生している。それが水蒸気即ち霧そして雲の発生源にもなる。登った際も霧が流れては消えていった。
 当日は高曇りで富山平野全景を見はるかす訳にはいかなかったが、 山頂から麓の田園地帯を俯瞰して、位置的にこの山から呉羽丘陵を派生していると知った。
 富山市中心地に近い呉羽山は145m程度であるが1等三角点が置かれて東西南北に眺めがいい。そればかりか昔から呉西、呉東という聞きなれない言葉の意味も分かったのである。
 呉東は神通川と常願寺川の沖積平野として富山市を中心に立山町、黒部市、滑川市でまとまり、呉西は庄川、小矢部川の沖積平野が高岡市を中心に小矢部市、射水市、砺波市、南砺市、氷見市でまとまっている。
 それぞれが山と水の融合による社会を形成している。そして高岡市の方が産業、文化的にも古い伝統の街と知った。たしかに万葉集の編纂者の大伴家持の古さは尋常ではない。また伝統工芸が脈々と続いていて中小零細企業が集積している。一方で富山市は豊富な電源開発を背景にした近代企業が多く、工業地帯となっている。
 それぞれが補完しあって富山県を一つに結んでいる。
 10月9日は高落場山に登った。登山口は福光町に近い。富山市から山際の県道をなぞりながら地形を確かめるように走ってみた。R41から神通川を渡ると呉羽丘陵を越えて庄川に至る。そこがR156が貫通する砺波市だ。砺波平野から富山平野の広がりがある。庄川からは散居村を抜けて城端の街を抜けてR304に合流する。南砺市になる。
 高落場山の登山口の若杉集落跡も実は五箇山街道の要衝であった。それが時代によりR304にとってかわり、今は袴腰山の直下にトンネルを穿って東海北陸道が五箇山へ貫通している。
 だから城端は高岡市からは行き詰まりであり、文化の吹き溜まりのような街になる。R156を白川村から砺波市まで走ると五箇山からは急にさびれた気がするのは昔から高落場山の峠道をからんで城端に抜けていたからだった。現代は車に変わってもそのルートは大筋では変わらない。