木曽川水系岩倉川をさかのぼる2017年09月04日

 9/2から9/3の久々の沢登りです。しっかり水を浴びてきました。
 中アの沢は何本か遡行してきましたが、木曽川右岸の支流ははじめてでした。岩倉川ももちろん初めてですが、支度中に、関東ナンバー2台、8人くらいのパーティがきました。知る人ぞ知る沢なんでしょう。
 私達4人は本流を遡行しましたが、もたついていても追いつかれず、別の沢に入ったようです。本流の沢のグレードは1級から2級らしいです。適度な滝が次々現れ、なめもあって楽しめる沢でした。懸垂は無くほとんど直登できました。特に本流の滝に支流が2本滝となって落ちている所はなかなかの見所です。ここは支流2本滝上を巻いて本流に出ました。堰堤が2か所あること以外は自然のまんまです。平流になって遡行を打ち切り、林道を歩いて下れました。登頂できないのはちょっと寂しい。
 帰路は柿其温泉に入湯しました。冷泉の加温です。湯船に浸かっていると汗がでてきます。泉質は単純弱放射能冷鉱泉です。メンバーの1人が湯あたりするほどですから効能があったのでしょう。放射能泉は湯あたりしやすいそうです。翌朝の私の膝痛もなんともなく歩行や自転車も痛みなく過ごせています。温泉の効能かも知れません。
 気になったのは沢の浅瀬で岩魚が弱弱しく泳いでいたことです。警戒心の強い岩魚ですからすぐ逃げるはずです。多分、産卵後で体力を使い果たしでいたのだろう。岩魚は水面が凍るくらいになると孵化するそうです。それとどの稲田も穂を垂れて美しい山村の風景でした。これも秋ならではの風景です。
 R19に出る手前、大きなドーム型の山が見えました。最初は糸瀬山か、と思いましたが南木曽岳でした。方向によって大きく違うんですね。山口村まで来ると秋空にくっきりと恵那山がそびえていました。いい1日でした。

改めて白山宮・足王社へお礼参り!2017年09月05日

 9/3の沢登りは恐る恐る参加した。何分2年ぶりのことである。翌朝も翌翌朝も足の痛みは特になかった。階段の下りで感じた激痛はもうないのだった。エレベーターを探したり、階段の手すりに頼った下りはしなくてもよくなった。
 正座できないとかはあるが登山は普通にやれるまでになった。
 実は6/11にも浜松のクライミングジムで支障なく登攀出来たのでお礼参りに行った。今回は2回目になった。猿投社、稲荷社、等の末社にもお参りした。信ずる者こそ救われるを実感した。
 ポタリングで白山宮へ来るだけでやっとの思いだったが、自信がつくと愛知池に足をのばし、最近は100m級の三角点ハンティングを兼ね、かつ、白鳥神社も詣でることにしていい目標ができた。最遠方は藤前干潟だろう。次は猿投山の登山口の猿投神社まで一走りするか。

猫のつく山名2017年09月08日

 先日の山岳会の例会で猫のつく山名の山に登ることになった。北アルプス剣岳の北方稜線の毛勝三山の一つである猫又山と大猫山である。周遊でも往復でも11時間くらいの長丁場の山である。にもかかわらず大勢の参加希望者があったのには驚いた。
 元々はFさんが行ったが登れなかったらしいので膝が治ったことを確かめる意味もあって私が持ちかけてみたら二つ返事で決まった。
 それにしても最近は猫ブームで多くの人が猫に癒されている。しかし、登山となればそんなに甘くはない。
 なぜ猫が山の名前に採用されるのだろうか。ググってみると猫のことわざや故事成語は結構ある。
1 猫の額ほどせまい・・・非常に狭い。
奥美濃に猫峠がある。
鈴鹿の釈迦ヶ岳の手前には猫岳がある。
中信に根子山がある。猫の当て字だろう。
以上から猫には狭い、短いのたとえにされている。

短いといえば八丁もある。京都の八丁峠が浮かぶ。

2 猫の手も借りたい・・・猫の手(前足)は短く役に立たないたとえ。そんな猫の手でも借りたいほど忙しい。
猫又山はこのたとえか。

3 化け猫の伝説
東北に猫魔ヶ岳がある。
新潟の『北越雪譜』には「泊り山の大猫」が紹介されている。

黒部峡谷鉄道には猫又駅があり、猫又谷の先には猫又山がある。

ググっていくうちにブログ「山は猫」がヒットした。
http://neko-yama.blogspot.jp/
自己紹介文には
「日本全国の猫にまつわる山々を巡り歩きます。猫にちなむ伝説や言い伝えのある山、猫の登場する文学作品の舞台となった山、猫の姿形をした山や岩などを探訪予定。最終的には全国に分布する「猫山」(地図に載らない猫山も含め)を洗い出し、人と猫と山のつながりを人々の記憶から忘れ去られる前に明らかにしておきたい、というのが狙いです。
 タイトルの「山は猫」は、
芭蕉が会津・猫魔ヶ岳を詠んだ
「山は猫 ねぶりていくや 雪の隙」
からとりました。」だそうな。

十二支に入れてもらえなかった猫の話も面白い。猫という自分なりにテーマを持って山を歩いている人をひそかに尊敬したい。

東区・文化のみち・撞木館までポタリング2017年09月08日

 秋晴れの1日、午後からですが、天白区植田から自転車で、「山、きらめきのphoto展」 (山岳写真 74点)の会場の東区文化のみち・撞木館までの約10kmをポタリングで見学に行きました。植田の交差点から八事の長い坂道を登ります。頂点からは下る一方になります。昭和区、千種区、東区と主要道と路地裏の道を適宜使い分けて撞木館に着いた。約45分ほどである。
 
 3社の新聞で報道されて、結構な来館者に鎌田支部長も電話に説明にと忙しそうでした。
 作品中、和紙で調製した写真が注目されていました。個人的には雷鳥の風姿をしっかり撮影した作品が好きです。特に足の部分の羽毛までばっちりとらえている。氷河期の生き残りという種の悲しいまでの遺伝です。(カモシカ、イワナなども生き残りです。)これがリアリズムだ、という作者の意気込みが感じられて好感を持ちました。
 反対に被写体としての槍や有名山岳はもう良いんじゃないか、と思います。山に機械力が活用されて楽に登れるようになり、非日常の風景がもう珍しいものではなくなった。斬新な切り口での写真を期待したい。
 フクジュソウ一つ撮っても、図鑑で見たような写真でなく、なぜそこに咲くのか、どんな環境か、どんな土壌を好むのか、一枚の写真でそれを表現できたら素晴らしい。

 帰路は八事の坂道を避けて名大の西の四谷の交差点の道を乗り越えました。途中、お千代保稲荷の支社があったので参拝。さらに東山公園の方へゆったり下り、また登り返し、途中から、植田山へ下る細い道を通り、塩釜口へ。アルバイトは八事と変わりない。

 からっとした秋気の1日でした。ライチョウの写真が良かったので今夜はカンチュウハイ2個を空けました。笑

みよし市周辺をポタリング2017年09月09日

 昨日は八事アルプス越え2回で大腿筋に少し負荷がかかったせいか、特に体を動かす意欲はなかった。愛知牧場のログテラスのグラタンを食べにいく目的で出発した。遅い昼食ついでである。
 いつもの天白川沿いに遡上する。思ったよりも稲は色づいてはいない。というか早稲はもう刈り取られたのだろう。刈り取った後に焦げた跡がある。
 ログテラスは約10kmだがすぐに着いた感じがするのは慣れもある。グラタンは牧場の新鮮な牛乳をつかうせいか、濃厚で美味しい。体にしみわたる気がするのは若干運動後もあろうか。
 十分な食後の休憩の後、黒笹山界隈をポタリングするが、何もなく、下ると県道54号に出た。刑務所の三角点を目指してもいいが、かなりのギャップを敬遠して浅い谷間を走り、この前見逃した福谷の御嶽神社を目指す。やはり道標など何もないので近くの婆さんに聞くが、行ってみると民家になるので不審者扱いされてもいやなので引き返した。
 結局、県道54号の新道をからめたり、民家を抜けたり迷走して県道231号に出て日進市に戻った。後は来た道をほぼ辿って帰宅する。

猿投山を歩く2017年09月10日

 朝行くか行くまいか、迷ったが7時過ぎには出発した。今日は膝痛の一般登山道での試運転の日だ。沢登りでは完全に踏破できた。RFで少し待ち時間があるから割りに楽なのである。一般登山道はただただ歩くだけになる。その分膝に来る。
 新しいアクセスも考えた。県道58号は最近は渋滞するようになった。特にR155と交わる大井橋である。それでR153を豊田市に向い、県道54号に左折して、みよし市の刑務所の横を通る。一旦、R155と交わるが直進すると保見駅の交差点に出る。これもやや交通量は多いが主要道のためか流れが良いと分かった。保見で県道58号に右折、すぐに県道283号に入る。すると猿投神社が近い。
 猿投神社のPは8時でもすでに埋まっている。車道奥も良いが、手前の路側帯にとめる。大勢の登山者とともに車道を歩く。途中から尾根道に左折。サバ土の壊れやすい東海自然歩道を行く。凝木の土留の段差が疲れやすい。大腿筋の補助に2本のストックをフルに活用する。やがて休憩所に着く。ここで汗をかいたので水分補給だ。傍らで韓国人の若い女性3人のグループが何やらしゃべりながら休んでいる。
 親子連れも多かった。段差は子供の足では届かないから苦労している。そうしてP504mのコブの山腹を巻いて車道に下り、東の宮の鳥居をくぐって最後の登りに入る。山全体が御神体なので喬木に覆われている。特に杉が多いわけではなく雑木も多い。西宮へ分岐する自然観察路を左に見送るとすぐに東の宮に着いた。参拝の後、一休みする。最高点632mはさらにひと登りするが今日はパス。629mの山頂へ向かう。632mへ突き上げる谷の源流部を巻きながらなるだけギャップを弱めるように道をつけてある。629mへは若干の登り返して登頂。大勢の登山者が休んでいた。眺めは北に偏りがある。
 帰路は往路を戻る。戻りついでに小さなPに寄ると東大演習林のエリアへの立ち入り制限の札があった。ここが北尾根の出発点だ。東の宮へ行く手前にも632mへの踏み跡があった。ここもいずれはトレースしたい。
 東の宮に着いたら、見知らぬ女性から声をかけられた。私は記憶にないが先方はかつて山岳会に所属してたというWさんだった。話をするうちに、中央アルプスの摺古木山から安平路山、越百山へ縦走したメンバーだったことを思い出した。突然の雷雲を凌ぐために金属を遠ざけてツエルトをかぶったことがあった。9/9のNHKの「ゆる山へGO」も見たらしい。よもやま話をしていると時間ばかり経過していくので打ち切って分かれた。
 次は西ノ宮へ行きたかった。何度も登った猿投山であるが西ノ宮は登った記憶がなかった。
 東の宮から西ノ宮へは道標がなく、すぐの自然観察路を下ったが、急に谷へ下るのでおかしいと思い引き返した。地形図を忘れるとこんなことになる。下って行くとカメラを構えた人が何やら撮影している。ヤマジノホトトギスの群落だった。行く時は全く気がつかなかった。
 東の宮の鳥居を出て、右へ車道を下るとしばらくで西ノ宮への鳥居があった。急坂を登ると千木や鰹木のある立派な社があった。格式が高い証拠だ。その奥にはオオウスノミコトの墳墓があった。
 満足して下山は自然観察路を歩いた。途中から東海自然歩道に合流し、車道までくだった。猿投神社にも参拝した。ここも立派な神社だった。

日進市米野木・御嶽山へポタリング2017年09月14日

 今日は白山宮の交差点で引き返し、軽く流すつもりだったが、喫茶店でモーニングセットでゆっくりするうちに、地形図は持たないが、少し足を延ばすことにした。思いついたのが機織池の傍の3等藤島の三角点だった。
 日進の田園は稲穂はまだ青いが色づくばかりに垂れている。台風18号で被害をうけねばいいが。神明社の北の交差点を右折して、ゆったりした坂登りをこなす。登りきると右へ地道が続くので入ってみた。神社の様子だった。大勢の老婦人らが清掃中だった。聞くと近々お祭りがあるらしく、多数の登拝客を迎えるという。
 ここは御嶽山というらしい。約85m。地形図には神社マークのみだ。立派な石碑がいくつも建っていてこの地域の人々の信仰心の篤さを感じる。やっぱりコメのよくとれる地域は神に感謝することを忘れない。親子三代、命のつながりは米が無難に収穫できてこそなのである。山頂に三角点がないか見たがなかった。地形図を忘れる日に限ってこんな発見がある。
 一旦、帰路についたが日進の図書館で地図をチエックすると確かにこの近くではある。もう一度引き返して田園を走り抜けていくと東名にぶつかる。調整池と書いた看板があったのでその方向にいくと機織池だった。園地になっていたが道は荒れていた。あちこち歩き回ったが、高いところへ行けば山頂というわけではない。饅頭をおいたような地形だから当が外れてしまう。結局三角点探しは無駄に終わった。地形図を片手に探す必要がある。というわけで、ちょっとは汗をかいた上に草虱でジャージーのパンツが大変なことになった。これを一つ一つとる宿題が出来た。

台風接近で登山は中止2017年09月17日

 タリムって何だろう、と思ってググったら、鋭い刃先だとか。14カ国で構成する台風委員会のメンバーのうち、フィリピンが用意した名前というがこんな方法いつ決まったんだろう。1968年という。しかし、被害の大きかった台風は、伊勢湾台風というように日本独自の名前をつけるとか。そうか、知らなかったな。
 17日から18日にかけて岐阜県の山へ行くため、リーダーが登山届を岐阜県警に出しておいた。そしたら私のところへ岐阜県警の某です、といって、これから台風が来るので、中止を勧告するような電話が来た。登山届はちゃんと読まれて、チエックされていると知った。もちろん、台風の動きは常時注視していますのでご心配なく、と回答した。
 7時現在、降雨は一休みだが、空は黒い雲で覆われている。高時計は1012HPAを差しているが、高度は70mに達し、45mの実際の高度との差がひらいてきた。低気圧が雲を呼んでいるのだろう。確実に接近中である。登山の方は昨日中に中止した。

日進市機織池の3等三角点藤島を確認後、長久手市根岳にポタリング2017年09月17日

 台風接近中で動きにくい日曜日。空を見上げるとどんより黒い雲で覆われて不気味である。大雨の予感がある。しかし、降雨は小休止状態になっている。
 北海道にある高気圧が台風の接近を遮っているのだろう。一時的な回復を誤って奥深く入ると大荒れで下山もままならないことになる。気象庁に勤務していた作家・新田次郎は『偽りの快晴』という小説で「台風接近中はいかなる理由があっても山に登ってはいけない」とした。
 さて、ポタリングは自転車のお散歩なのですぐに引き返せる。今は猿投山が見えている。その奥の段戸高原辺りも見えている。数時間はもつだろうと、8時すぎに自転車にまたがる。
 日進市役所を過ぎて米野木町までは田園地帯を走る。黄金色の稲穂が美しい。そこへなぜかシラサギが何羽もたたずんでいる。台風前に食いだめするのか。東名高速にぶつかったら左折。側道を西へ走り、ゆるく乗り越すと薬品会社やコンビニの元締めの会社の配送センターがならぶ。左折して終点まで下る。機織池の一角である。
 地形図を首っ引きで見つめると池までは行かず、この辺りから斜面を登ればすぐの感じだ。歩道をゆっくり走ると斜面に踏み跡が登っていくので自転車をデポして、歩いて登った。
 すると9/14の歩いた遊歩道に合流。地図で舐めるように斜面の踏み跡を探すがない。また一旦下ってしまった。穴惑い(秋の蛇)がおろおろしている。まむしではないので木の枝で追い払う。
 前の踏み跡を再び辿り高見に登るが三角点はない。藪の向こうには民家が見える。どうも西へ振り過ぎだ。戻って東へ高見を目指す。いくらも比高はないが尾根がある。登ってみるとまた民家が見える。藪の中に人がごそごそしているのを見られると不審者に思われかねないのですぐ隠れた。
 シダ類の繁茂で踏み跡は隠れているがいくらか歩きやすくなったと思ったら3等三角点の藤島83.5mが見つかった。シダ類の繁茂で地面が見えないが反対側に下ると最初の遊歩道に出た。何のことはない、地形図通りにええい、と登ればよかったのだ。
 これで9時過ぎ。東名高速の側道を名古屋IC手前まで走った。かつて愛知万博の広大な駐車場になっていた場所だ。今は瀟洒な飲食店などが立ち並ぶニュータウンに変わっていた。猪高緑地の手前で左折するとすぐに根嶽の交差点になり右折。市道を登りきると根岳の麓に着く。地形図をにらんで現在位置を確認。
 家の記号に7の文字がある地図記号がある。これは何と老人ホームだった。7に見えるが杖の持ち手をイメージしているようだ。確かに老人ホームがあった。山奥に入る踏み跡も見つかったので自転車をデポ。
 何と遊歩道になっていた。すぐに長湫越しなどという道標まであり、嬉しくなる。歩道があると無いとでは大違いだ。何の愁いもなく、根岳4等三角点108.7mに登れた。手前の道標には親鸞山とあった。これは高針にある山だ。かつて名東区に引っ越した頃、高針アルプスと名付けて「縦走」したはずだが、記憶にはない。あの頃は歩道なんてなかったし。
 戻ってもつまらないからどこへ下山できるのか歩いてみた。長湫南部公園に下りた。市道へ出て山周りに戻れた。この一帯は老人福祉のメッカのような施設が集中していた。
 自転車に戻って市道に出て喫茶店でモーニングコーヒーを飲む。ひと汗かくとコーヒーの味も違う。帰りにはポツリと来た。サドルも雨滴で濡れた。長久手市と日進市境を越えると岩崎川の流域になり、天白区まで下る一方になる。

日進市五色園の4等三角点五色園へポタリング2017年09月18日

 昨夜から今朝にかけて台風18号の通過で風が強かった。台風一過で秋晴れになった。空気もさわやかだ。今朝も遅めながら自転車にまたがった。
 行く先は天白川の支流・岩崎川の奥、五色園にある4等三角点109.7mの五色園である。日進市白山の市道と県道57号の交差点を直進し、岩崎川に沿う県道217号、233号を走る。東名高速日進JCTの南のガードをくぐると五色園入口の交差点で右折。ゆるやかな坂道を登ると愛知用水との交差点・五色園を通過する。けやき台という住宅地になるとやや緩む。適当に住宅地の車道に進入。山沿いの道を走って踏み跡を探す。
 地形図とにらめっこするが何らてがかりはない。住民に聞くと、以前は道があったよ、というので教えてもらった辺りを探るがない。また、藪に突っ込むように山林に踏み込んだ。台風で相当な枝葉が落ちていたが案ずるよりは生むが易し、で、歩くのが困難なほどの藪はなく、シダ類もまばらである。
 藪尾根に乗ってみたが踏み跡はない。しかし、山腹に明瞭な踏み跡があるのを発見。強引に高みを目指さず、とりあえず踏み跡をたどった。
 この踏み跡は三角点に通じていた。好事家の足跡だったわけで、楽にゲットできた。三角点ははっきり分かったが展望はない。踏み跡のまま下ると住宅地へポンと出れた。
 帰路は地名の元になった五色園を訪れてみた。入り口は無人で無料という。宗教公園の触れ込みで、出入り自由とあった。名鉄バスの終点になっている。以前からこのバスを見るたびにどんなところか気になっていた。昭和9年にできたという。現在は浄土真宗五色山大安寺を名乗る。いわゆる宿坊や墓地がある。
 五色園を辞して、愛知用水の側道を下ってみたが途中でサイフォンになり、道も断絶してしまった。岩藤川の村里を走り、東名をくぐり、なるだけ車道を走らず、岩藤川そして岩崎川に沿いながら白山の交差点へ戻った。
 五色園の一帯は日進東部丘陵といわれる愛知の自然の最後の砦のような位置づけになっている。かつては産業廃棄物の埋め立て地にする目的で保安林解除の申請がされたが自然保護の市民運動がおこって保全された。
 東部丘陵は標高150mから170mあり、天白川の本流、支流のあつまる源流域だ。東側の北は矢田川の支流・香流川(かなれ)に流れ、南は伊保川、田籾川が食い込んで矢作川へ流入する。つまり分水界になっている。
 日進市と長久手市の市界の北の農業総合試験場は矢田川と天白川の分水界の上に開拓された。芸大になるともう香流川の支流になる。長久手市の地名の久手(大久手、細久手、作手村など湫は低湿地)は水はけの悪い地勢を意味するという。実際、丘陵地の宿命である。リニモの名称も愛知高速交通東部丘陵線というのもうなずける。
 こうして天白川を中心に地形図を眺めて、そして自分の足でポタリングしてきて、東海豪雨による野並地区の被害の原因も丘陵地がすべて宅地化されたことにあると思わざるを得ない。保水力のある山林を残すとか、ため池を埋めなければ都市洪水は起こらないだろう。
 社会の発展、経済の拡大が都市の新たな水害を生み出すなんて、県の行政と県議は自然を甘く見ないで、想像力を働かせて対応してほしい。