徳重熊野社へポタリング2017年06月22日

徳重の熊野社本殿
 今朝はどんよりした梅雨曇り。まあこの時期はこんなものだろう。9時30分過ぎに自転車にまたがり出発する。
 目的地は緑区徳重の熊野社という古社である。これまでのも何度か前を通過してはいたが参拝したことはなかった。先日は「平針」三角点へ行くのに南へ振りすぎて「熊の前」へ迷い込んできた。
 今日のルートは平針から荒池の北の土手の道を走ったが途中で絶えた。未整備と分かった。戻って西の道を走り、平針南から路地を抜けると西神の倉に出た。下ると元町珈琲という喫茶店を見て、ああ、熊の前に着いたと思った。先日もそこで一服したので今朝も一服する。
 一服後、坂を下って熊野社の前に行く。要するに熊野社の西の境を走っているのである。但し、参拝の道は一つしかない。またもギアをこまめに切り替えながら登る。途中できつくなり下りて歩いた。すぐに本殿横に着いた。実は参道ならば途中に湧水地もあるようだ。今度は歩いて登拝しよう。
 由緒によれば祭神は伊弉諾尊イザナギノミコトと伊福利都連命イフリクベムラジノミコトという。
 名古屋市のHPから(一部編集)
「袖(注:神の間違い)ノ倉の神は熊野杜を指し、地名の由来はこの神社のある山が神の鎮まる座、御神座の山を呼んだことによる。
 古名の字名に伊副ケ根(いふがね)祝ケ根(いわいがね)とあるが、もともとイブクマノ神社の名で呼ばれていた伝承による。
 祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊福利都連命(いふくりべむらじのみこと)で熊野三社に源がある。
 この地一帯は江戸時代に尾張藩の御林だった山で明治になり宮林から民間に払し下げられ最近まで雑木林だった。近年開発され神社の社殿や参道が整備され昔の面影は無くなったが、3.7万崩(注:平方メートルの間違い)の特別緑地保全地区で桜並木は素晴らしい。参道入口に正観音堂があり、「右あすけ道」「左くまの権現道」の道しるべがある。」
 吉岡学公式ブログも丁寧な観察と調査の記録があり深く理解するための参考になります。
http://earthtscu.jugem.jp/?eid=1563

 熊の前とは熊野社のことだった。神の倉も熊野社にちなむ地名だったのだ。
 参拝の後は独立標高点85mへの入り口を探しながら一周してみた。北面はゴルフ場に利用されている。その右わきに草深い道が登ってゆくのが見えたが確信はなかった。平針南から荒池経由で帰宅した。
 そして熊野社のことをググるうちに北東の独立標高点85mに毘沙門天像があると知った。今度は車で熊野社のPへ走った。
 参道から登拝して本殿の裏手に回ると鬱蒼とした照葉樹林の中に踏み跡が続いていた。地質はサバ土である。猿投山につづく東部丘陵はこの地質であり、近くの東郷町にある白土(しろつち)も「白粘土や磨砂が採掘されたので、いつの頃からか住民の間で「白土」というようになり、それが地名になった」そうである。
 神社から約10分で毘沙門天像に着く。大正年間の建立で岡崎市の人の名前が見える。毘沙門天は七福神の一つでインドの神様だ。北の守護神というがどこを守るのか。尾張氏の氏神の針名神社か、御岳山か、白山か。
 眺めはない。途中にゴルフ場との接点があったが仕切られていた。また草深い道にもつながっている。但し、南にステンレス?の階段道が下っていたので下りた。すると自転車でくまなく走ったはずの道に着いた。入り口には「毘沙門天王参道」と彫られた石碑があった。昼には気がつかなかった。登り返すのも何だから車道を歩いて適当に神社に向かうとドンピしゃでマイカーのあるPに着いた。所要10分のことである。