日進市の岩崎城址へポタリング2017年06月04日

 6時過ぎ起床。今朝も快晴である。いつもより寒いので長袖を着用した。ネットによれば白馬山荘では降雪があったとか。冬に逆戻りしている。立山ではまたも小型飛行機が山に衝突したらしい。気象の変化が激しい日本の空は危険そのものだ。登山も同じである。
 小寒い中を自転車にまたがって天白川を遡るポタリングである。コースは昨日とほぼ同じで、梅森寄りに走ってみた。すると梅森八幡社があったので寄ってみた。八幡社というだけに後に回ると八幡造りの立派な社殿である。御手洗場は杉の曲げ物ではなく、竹を節で切って、コップにしてあった。これもありか。
 旧街道筋を走ると医者の家が大きく目立つ。狭い小路はさながら戦前の昭和の時代を物語る。道路こそ舗装してあるがマイカーが行き交う広さはない。もう1つ上に良い道が付いている。
 旧道筋を突っ走ると岩崎城が見える。眼下は植田が広がる田園地帯である。今日は岩崎城に寄っていく。県道57を若干北上すると岩崎城への入り口がある。自転車すら入るなとある。自転車を置いて歩き出す。一番高いところをへて古墳を見る。その前面が日進市の市街地や田園の展望台になっていた。ぐるりとまわるともう見どころはなく入口へ戻る。
 路地を走り抜けると白山宮のある丘が見える。今日はパスして日進市役所沿いに帰宅の途についた。
 さて、八幡社のことである。
 梅森では氏神としていた。ふたたび、司馬遼太郎『この国のかたち 五』(文春文庫)の神道を読むと、古事記や日本書紀に出てこない神を祀る外来神(渡来神)ということが分かった。
 6世紀に仏教が入って来た。入れ代るように日本の神々は没落していった。8世紀になって僧たちは神々にお経を聞かせて救済した。それが神宮寺という。
 八幡神が現れたのはこの時だった。最初は大分県の宇佐に始まった。この神は人格神といった。政治にも口出しした。仏教が盛んになると「自分はむかしインドの神だった」と託宣した。そして仏教を支持し、受け入れた。神が仏を讚仰した。これが神仏習合ということである。
 蕃神とも書いている。
 ウィキには「蕃神(ばんしん)とはその国、その土地の外部(外国、異国)からやってきた神。単に外国の神という意味ではなく、外来の神、つまり、外から入り込んできた後に定着し、その国、その土地で既に信仰の対象とされるようになってきている神を指していう。蕃神が信仰されるようになる経緯としては、意識的に布教される、あるいは、その国の人々が蕃神の存在を知り、自発的に信仰を始める、などが考えられる。
 もともと神道が信仰されていた日本においては、伝来当初の仏教について、「仏」を「蕃神」(トナリノクニノカミ)と呼ぶなどしていた。」とあった。今は死語になった。
 司馬の八幡神の書き方が面白い。
 「奉ずる人達の中央政権への働きかけが異常なほど活発だったことも以前ふれた。奈良朝の東大寺の大仏造営のときもこの神が託宣活動をし、ついに国家機関(東大寺)の域内にまつられることになる。
 同時にこの神はいちはやく仏教に帰依した。神仏習合という奇策を演ずることによって神々を亡びから救った功は小さくない。」
 後から来たものは少数派であり、弱者である。おおく発言して政治的にも活発に行動しないと埋もれてしまう。
 神道にもこんな重層性があったのかと思う。

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