沓掛時次郎の歌詞の ♪浅間三筋♪とは2017年04月19日

 橋幸夫が歌う「沓掛時次郎」(昭和36(1961)年、作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正)は長谷川伸が昭和3(1928)年に股旅物の戯曲で創作された人物だった。
音曲:https://www.youtube.com/watch?v=Tul_g3_oQeo
 その中の歌詞に歌いこまれた浅間三筋ってなんだろうと調べてみた。何のことはない。活火山の浅間山から立ち昇る三筋(本)の煙のことであった。
 浅間山に関することや沓掛時次郎に関することをさかのぼると、結構いろいろ分かった。この歌は佐伯孝夫のまったくの創作ではなかった。先駆する民謡「小諸馬子歌」に
♪小諸出てみよ浅間の山に今朝も煙が三筋立つ♪
と歌う。なかなか風情がある。
音曲 https://www.youtube.com/watch?v=jru-axzBJHQ
 続けて、「沓掛小唄」というのもヒットした。
音曲:https://www.youtube.com/watch?v=g9a_jKsOmzA
歌詞:http://www.tei3roh.com/kutsukakekouta.htm
物悲しい音色が時代を語る。おそらく大ヒットしたのである。これは昭和4年とあるのでもう長谷川伸の作詞となっている。1番から5番まであるが1番と最後のみコピーする。
1 意地の筋金 度胸のよさも

 人情からめば 涙癖

渡り鳥かよ 旅人ぐらし

 あれは 沓掛時次郎

5 千両万両に 曲げない意地も

 人情からめば 弱くなる

浅間三筋の 煙の下で

 男 沓掛時次郎
以上
 島津亜矢の歌う「沓掛時次郎」の歌詞(作詞:宮沢守夫、作曲:村沢良助)は1番の意地の筋金を引く。5番の男 沓掛時次郎の結びも引いてある。
https://www.youtube.com/watch?v=ub6-DIQfAtY
 この歌はシングルでは発売されず、2014年のアルバム「亜矢の股旅・任侠演歌セレクション」に収録。さらにさかのぼると2004年のアルバム「極めつけ 島津亜矢の名作歌謡劇場」に収録。1993年の名作歌謡劇場シリーズの中で「お梶/沓掛時次郎」があった。これが最初であろう。平成5年だから亜矢ちゃんが22歳のとき歌ったのだ。
 橋幸夫の歌う「沓掛時次郎」は「浅間三筋の煙の下で」とやはり「男 沓掛時次郎」は同じだ。橋幸夫は18歳で歌っている。

 ともに長谷川伸の作詞「沓掛小唄」を踏まえたいわゆるオマージュの作品と知った。やっぱりなあ、良い歌、いい言葉はい意味でのパクリなんだと思う。昭和4年以来、昭和36年の橋幸夫、平成5年の島津亜矢と、約30年の間をおいて、歌い継がれてきたのである。名作の由縁である。

 締めくくりにはっと思って前田普羅の句集「春寒浅間山」を繰ってみた。普羅の俳句にも浅間三筋が詠まれていやしまいか。さすがにそれはなかった。
  春星や女性浅間は夜も寝ねず
  春星を静かにつつむ噴煙か
  つかの間の春の霜置き浅間燃ゆ
  女性浅間春の寒さを浴びて立つ
・・・・浅間山のやわらかな山容に女性を見たという句意。普羅はごつごつした険しい山よりも女性的な山容の山が好きだった。富山県の金剛堂山にも久遠の恋の情を表すほどだった。  
しかし、
  榾を折る音ばかりして父と母
  母の顔父の顔ある榾火かな
・・・・普羅は若くして台湾に渡った両親との生き別れに寂しさを癒せなかった。15歳で山恋と書くほど山好きな少年になった。後記に「私は浅間が降り注ぐ女性に打ち勝てなくなった」とある。浅間山に母性を見たのである。生涯寂しさを漂わせた俳人であった。
 長谷川伸も幼くして母と生き別れの人生体験があった。これが作品の原点になっている。普羅も渡り鳥のように旅から旅へ、親の愛を受けられないまま、拗ねてやくざになってしまった時次郎に似ている。
 しかし、普羅は早稲田大の英文科を出たほどの教養人だったから身を持ち崩すことはなかった。意地もあっただろうが、俳句が人生の高みへの階段を登る手段となしたからだった。
4/23追記
 昭和14年の東海林太郎のヒット曲「名月赤城山」(矢島寵児作詞)にも「沓掛小唄」の歌詞中「意地の筋金」の部分が引用されていることが分かった。