いそがしや沖の時雨の眞帆片帆 去来2017年03月29日

 猿蓑の一句。猿蓑解説のHPに 
「真帆片帆」は、舟の帆を満帆にしたりたたんだりしている様。時雨が来て漁舟が慌てている様。
 この句については、去来抄に「去来曰、猿蓑は新風の始め、時雨は此集の美目なるに、此句し損ひ侍る。たヾ、有明や片帆にうけて一時雨といはば、いそがしやも眞帆もその内にこもりて、句の走りよく心の粘り少なからん。先師曰、沖の時雨といふも又一ふしにてよし。されど句ははるかに劣り侍ると也」と書いている。

 去来の反省
 『猿蓑』は「初時雨猿も小蓑を欲しげなり」で始まる蕉門の自信作。その勢力を誇示せんとばかりに冒頭に門弟12人の時雨句で始めるという力の入れようだった。
 まさに「美目」であった。そのしんがりを勤めたのが去来で冒頭の句であったが、去来は後刻これは失敗作だった、「有明や片帆にうけて一時雨」とすればよかったと言うのである。
 芭蕉の評価
 去来のこの発言に対して、芭蕉は「沖の時雨」は直截的で良い。だが、去来の新提案の方が遥かに良いと言ったという。

・・・・やっぱり、掲載句の方が上等でしょう。改作すると大抵よくないものです。

 ところで真帆片帆を検索で探すと沢山ヒットする。
   涼しさや淡路をめぐる真帆片帆  正岡子規
   のどかさや松にすわりし真帆片帆   同
のように換骨奪胎されている。
この他
初雷や片帆にうけて武庫颪      河東碧梧桐
新蕎麦や伊吹颪に真帆片帆     昇角
春風や東へ片帆西へ真帆       正岡子規
春風や海に花さく真帆片帆       正岡子規
松島や舟は片帆の風かをる      正岡子規
涼しさや湊出て行く真帆片帆      正岡子規
牛は野に雲雀は空やまほ片帆     正岡子規
盆東風や沖より帰る真帆片帆      木村信子
眞帆片帆小島小島の紅葉哉       正岡子規
眞帆片帆瀬戸に重なる月夜哉      正岡子規
真帆とまり片帆すみやかよき汐干    阿波野青畝
真帆片帆どこまで行くぞ青嵐       正岡子規
真帆片帆右は播磨の青嵐        正岡子規
真帆片帆沖はかすみて何もなし     正岡子規
真帆片帆湖の南は夕立す        寺田寅彦
真帆片帆行く手行く手の海霞む     正岡子規
稻妻や片帆に落す海の上         正岡子規
雁暮れて西湖明るし眞帆片帆      正岡子規
雲に近く行くや小春の眞帆片帆     正岡子規
霞みけり大島小島真帆片帆       正岡子規
鷺消えて片帆の残る霞哉         正岡子規

真帆片帆をテーマにこれだけあった。子規は気に入った語彙を徹底して使い込んだのだろう。
 言葉の響きが万葉集的なので検索してみたがヒットしなかった。蒲郡市の歌碑に
 満潮にのりて浮める真帆片帆 拾石の里 ハ住みよかりけれ
という歌はあった。いつ頃なのかも不明であった。しかし、古い語彙であることは確かだろう。

 田端義夫歌うところの「ふるさとの燈台」の歌詞の冒頭にも使われている。作詞家は清水みのるといい、浜名湖周辺の伊佐見村の生まれだった。現在は浜松市。なるほど海の語彙が豊富なわけである。ぱっと、イメージに引き込む作詞力が素晴らしい。
 同じ浜松市出身の鈴木紀代氏も橋幸夫の「ちゃっきり茶太郎」の1番の冒頭に「小夜の中山」を置いて古歌の歌枕の世界に引き込もうとする。作詞家も結局は言葉の斡旋力を磨くために古典を読むなどの努力が欠かせないのだと思う。少し脱線しました。

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