句会初めに想うことども2017年01月30日

 1/29は今年最初の句会だった。参加者は4人中2人になった。1人は俳句が作れないと嘆き、1人は限界を感じたのか。ちょっと寂しい新年句会になった。女性3人は皆80歳を越えた。7年前に発足したときは70歳代でも元気な感じだったが、ここへ出席するだけも大変らしい。
 しかし、俳句は80歳を越えてからだろうに。皆さん夫を亡くした。本来は孤独な身辺であるが俳句の趣味があるから赤の他人ともつながるし、575と考える時間がある間は孤独感はない。
 たとえ2人になっても続けられるうちは続けたいと思う。これまでの7年もよく続いたものである。その秘訣は
・結社は主宰が絶対の存在である。”蝿叩き一誌持たねば仰がれず”の世界である。主宰たるもの雑誌を発行する、句集を何冊も出す、文芸評論が書けることが条件になる。事実、人気俳人の多くはこの条件にに適う。だから結社に及ばずながら俳話会とした。
・俳句教室は講師が一方的に薀蓄をたれ流す。受講生を下に置くやりかたではなく双方向で句講を進めることであろう。
要するに少人数で深い話をしたのである。
 この方法もここにきて頓挫した感がある。欠席の1人が夏井いつきのような講話を要望したからだ。結局6年以上やってきて何も理解していないのだった。
 プレパトは大人気の番組だが、あれは夏井さんもプロであるし、酷評される側もギャラをもらうからプロである。視聴者を面白がらせる役目である。視聴率をアップして、スポンサーを喜ばす電波芸者の役目である。
 俳句の俳は人に非ずと書く。もともとは芸能人のような被差別の卑賤な意味があったようだ。俳優は優れて人を面白がらせる職業というわけだ。今はタレントであるが戦前は川原乞食であった。決して名誉な仕事ではなかった。
 俳人も同じことだったが、芭蕉が出てきて、言葉遊びだった俳諧で人生を詠むことから俳聖とまで仰がれた。芭蕉の背景には支那の古典がある。杜甫や李白の漢詩である。杜甫は詩聖といわれた。夏目漱石の俳句が高く評価されるのは漢詩に熱心だったからといわれる。
 今はそこまで高邁な教養を高める人はほとんどいない。そこまで指導したところで同じように学ぶことは無理だ。明治時代は新聞に漢詩選があったが大正6年頃に無くなった。人々の日常から漢文は失われたのである。
 俳句は結局江戸時代の町人大衆のレベルまで下がってしまうのだろう。現代俳句は「駄句の山」と評した主宰がいた。俳句全体が女性化してしまった。人生を詠めとか指導する余り感情のみ優先されてしまうからだろう。句会ではなるだけ自然詠を採るようにしている。視野の広がりを期待する。自然を詠んでも人生をにじませることはできるからだ。