奥美濃・日永岳に登る ― 2016年10月22日
天気予報では午前中は持つとの見通しなので午前6時に出発。高速をフルに利用すると武儀川と神崎川の合流する谷合まで約80kmあるが1時間で来れた。
R418から神崎川に沿う道に右折すると後は広い道狭い道が交錯し連続する羊腸の道が続く。神崎を過ぎると舟伏山への登山口を見送る。奥へ進むに連れて遂に一車線の狭い道になった。2015年5月に来た時は伊往戸(いおど)で工事で通行止めをくらい引き返した。そしてタンポへと転戦した。今日はその雪辱戦である。
最奥の仲越(なかごし)までは狭い道を走った。以前はあった廃校跡に着いたのは午前8時過ぎ。105km。ここからの林道は通行止めになっていたが荒れていないので入って見る。すると橋の所で工事中だった。土曜でも工事はあるかも知れず、ザックだけ置いて車は廃校跡に引き返す。徒歩で橋まで戻った。
歩き始めたのは8時20分。熊避けの鈴を鳴らすためにザックに取りつけた。清冽な流れの谷川を見やりながら歩くとさっとアマゴらしい魚影が走った。もう産卵期に入っていると思う。途中で路肩工事中を過ぎてしばらく林道を歩いて終点へ。涸れ沢を渡渉して登山道に取りつく。樹齢数十年はあるような立派な杉の美林である。いきなりの急な道である。山腹のジグザグ道から尾根の端に着いたところで一服する。ここまで50分。尾根の急登に耐えながら山腹道へ来ると笹の刈り払いが見えた。最近刈ったばかりだ。ここからは杉の植林内の暗かった道も開けてやや明るくなる。傾斜も緩くなる。少しガレて登山道が壊れた箇所があったが何とかなる。遠くに鞍部に連なる山稜が見える。もうすぐだ。1090mのイタゴ洞への鞍部に着いて記憶が蘇った。
奥美濃の巨渓西ヶ洞を溯る
http://koyaban.asablo.jp/blog/2007/09/30/1829494
そうか、あの時は板取村の西ヶ洞からイタゴ洞を詰めて鞍部に登り、日永岳を往復したっけ。今日もあの日と同じで曇りである。幸いにも笹はきれいに刈り払われて歩きやすい。小ぶりの標石のマークが8の字に見える宮標石が埋まる。ここも御料林だったのか。
やや急になって桧の大木の根っこに足場を置くようなところもあるが急登してゆくのが分かる。その上に黄葉が素晴らしくなってきた。持っていただけのカメラで撮影しながら後続を待った。
山県市の最高峰、最北という看板の立つピークに着いた。板取村(現在は関市)と美山町(現在は山県市)の境界である。すぐに下って登り返すと電波反射塔を経て3等三角点の山頂だった。山頂はベニマンサク(マルバノキ)の紅葉とシロモジの黄葉に彩られていた。霧が流れて行く。西ヶ洞は霧の海になった。神崎谷はまだ少しは見える。舟が転覆したような巨体は舟伏山だろう。霧は山頂へも流れてきた。少し寒いのはそのせいだろう。滞在1時間も経たずに霧が降る山を下った。
同じ道を戻る。林道では1時40分だったがこれから山頂に向かう単独行に出会った。1023mの三角点(点名:明神山)のクラソ明神のことを聞かれたがもう忘れた。相当なヤブ山好きである。お気をつけて、と別れた。谷川沿いに下っていると白い浮遊物が飛んでいた。あれは雪虫(雪蛍、綿虫)であった。1~2週間後には雪が降るという。この時節の風物詩である。
橋の現場に工事関係者は居なかった。土曜は休みだったのだ。廃校跡に着いた。雨が降らずに済んでやれやれだ。秋山を堪能した気分に浸った。R418に戻って武儀川温泉を目指したが現在は改装中だった。大人しく帰名の途についた。
最初の登山はもう何時だったか忘れた。確かに廃校がまだあった。あの時は林道のゲートまで入れた。そして2回目は廃校の所から先は入れず歩いた。柴犬を連れた猟師がいた。気性が荒いから近寄らないでくれと制された。サワグルミなどを見ながら登ったものだ。3回目は沢からで今日は4回目になった。
R418から神崎川に沿う道に右折すると後は広い道狭い道が交錯し連続する羊腸の道が続く。神崎を過ぎると舟伏山への登山口を見送る。奥へ進むに連れて遂に一車線の狭い道になった。2015年5月に来た時は伊往戸(いおど)で工事で通行止めをくらい引き返した。そしてタンポへと転戦した。今日はその雪辱戦である。
最奥の仲越(なかごし)までは狭い道を走った。以前はあった廃校跡に着いたのは午前8時過ぎ。105km。ここからの林道は通行止めになっていたが荒れていないので入って見る。すると橋の所で工事中だった。土曜でも工事はあるかも知れず、ザックだけ置いて車は廃校跡に引き返す。徒歩で橋まで戻った。
歩き始めたのは8時20分。熊避けの鈴を鳴らすためにザックに取りつけた。清冽な流れの谷川を見やりながら歩くとさっとアマゴらしい魚影が走った。もう産卵期に入っていると思う。途中で路肩工事中を過ぎてしばらく林道を歩いて終点へ。涸れ沢を渡渉して登山道に取りつく。樹齢数十年はあるような立派な杉の美林である。いきなりの急な道である。山腹のジグザグ道から尾根の端に着いたところで一服する。ここまで50分。尾根の急登に耐えながら山腹道へ来ると笹の刈り払いが見えた。最近刈ったばかりだ。ここからは杉の植林内の暗かった道も開けてやや明るくなる。傾斜も緩くなる。少しガレて登山道が壊れた箇所があったが何とかなる。遠くに鞍部に連なる山稜が見える。もうすぐだ。1090mのイタゴ洞への鞍部に着いて記憶が蘇った。
奥美濃の巨渓西ヶ洞を溯る
http://koyaban.asablo.jp/blog/2007/09/30/1829494
そうか、あの時は板取村の西ヶ洞からイタゴ洞を詰めて鞍部に登り、日永岳を往復したっけ。今日もあの日と同じで曇りである。幸いにも笹はきれいに刈り払われて歩きやすい。小ぶりの標石のマークが8の字に見える宮標石が埋まる。ここも御料林だったのか。
やや急になって桧の大木の根っこに足場を置くようなところもあるが急登してゆくのが分かる。その上に黄葉が素晴らしくなってきた。持っていただけのカメラで撮影しながら後続を待った。
山県市の最高峰、最北という看板の立つピークに着いた。板取村(現在は関市)と美山町(現在は山県市)の境界である。すぐに下って登り返すと電波反射塔を経て3等三角点の山頂だった。山頂はベニマンサク(マルバノキ)の紅葉とシロモジの黄葉に彩られていた。霧が流れて行く。西ヶ洞は霧の海になった。神崎谷はまだ少しは見える。舟が転覆したような巨体は舟伏山だろう。霧は山頂へも流れてきた。少し寒いのはそのせいだろう。滞在1時間も経たずに霧が降る山を下った。
同じ道を戻る。林道では1時40分だったがこれから山頂に向かう単独行に出会った。1023mの三角点(点名:明神山)のクラソ明神のことを聞かれたがもう忘れた。相当なヤブ山好きである。お気をつけて、と別れた。谷川沿いに下っていると白い浮遊物が飛んでいた。あれは雪虫(雪蛍、綿虫)であった。1~2週間後には雪が降るという。この時節の風物詩である。
橋の現場に工事関係者は居なかった。土曜は休みだったのだ。廃校跡に着いた。雨が降らずに済んでやれやれだ。秋山を堪能した気分に浸った。R418に戻って武儀川温泉を目指したが現在は改装中だった。大人しく帰名の途についた。
最初の登山はもう何時だったか忘れた。確かに廃校がまだあった。あの時は林道のゲートまで入れた。そして2回目は廃校の所から先は入れず歩いた。柴犬を連れた猟師がいた。気性が荒いから近寄らないでくれと制された。サワグルミなどを見ながら登ったものだ。3回目は沢からで今日は4回目になった。
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