奥三河・きららの森散策2016年09月19日

 気温は低くても台風特有の湿気を帯びた暑さがある。亜熱帯から脱出しようと、正午過ぎに出発した。行く先はきららの森である。樹齢300年くらいの原生林の下の林道でしかも東海自然歩道で整備されている。途中で降雨にあっても傘をさして歩ける。
 段戸湖に着いたのは14時30分。空は黒い雲が垂れ込め、どんよりしている。今にも降りそうである。何しろ愛知の屋根と言われる高原だから当然である。段戸湖にはマスをルアーで釣るために胸くらいまでたちこんでいた。
 軽い靴で出発した。ザックには一応渓流靴を偲ばせた。歩道からせせらぎに入ってもいいか、と思ったからだ。五六橋を右折して林道を行く。トイレとベンチがあるところからすぐに東海自然歩道が右折する。少しばかり歩いて見た。渓流にも降りてみた。倒木はあるがきれいな沢相である。登山靴でも飛び石伝いに歩けそうだ。仮称はなごや谷とした。この詰めのピークがなごや嶽と古文書にあったからである。今日は濡らさず、紅葉期に再訪するか。
 五六橋まで引き返して西川へ向かう林道を歩いて見た。初めて歩く。良く整備されている。分水界の峠まで約0.6kmくらい。途中から自然歩道が左右に分かれる。分水界を辿る自然歩道である。峠に着くと矢作川水系から豊川水系に変わる。明るいが桧の植林風景になり殺伐とした景色になった。ここで遅い昼食を食べた。切り株に座るために林内に上がると踏み跡があった。食後辿ってみた。どうやら整備中であった。尾根には木の階段ができていた。末端の明るいところには山岳同定の写真パネルが建っていた。遠方には宇連山、明神山が見えるらしいが今日は曇りで見えない。
 反対に1000mのピークに向かう尾根を登ってみた。うっすらとした踏み跡が続いている。左は原生林、右は雑木の幼樹が生えている。場所場所に記号が示してあった。もう一つの1000mへ登り返すとどんどん下る。沢の音がするので引き返す。どうやら原生林への連絡路はないと分かった。地形図ではすぐ近くであるが、原生林側からこちらへ来るには良いが、こちら側では彷徨することになってヤバい。峠まで大人しく引き返し元の道を帰った。
 帰宅後調べると「穂の国森づくりの会」なる組織が中部電力から寄付金で人工林を伐採後、雑木を植えてきららの森を拡大する構想と知った。つまり弁天谷の上部の西へ食い込む谷の一角である。道理で植林の様子が変わっていたはずだ。
 この辺りは江戸時代は天領で入山できず、明治時代中期に御料林に編入されて、井山から大蔵磯次郎らの木地師を西川へ移入させて、原生林の伐採、植林を行ったところだ。五六橋も大蔵磯次郎が命名したという。下流から数えて56番目ということらしい。西川からは山伝いに近いから足繁く通ったであろう。
 今は、自然志向が強くなり、桧、杉の脱植林を目指す方向にある。それの方が治水にも良い。ブナの吸水力、保水力は杉桧の比ではないようだ。なごや谷も水が枯れないのはブナの原生林を保存した故だろう。すこしばかり汗をかいたがすっきりした気分で帰名した。