沢登り研修2016年09月04日

 山岳会会員の技術の底上げを狙いとして研修を企画された。沢登りの方は頼むというので当方がリーダーを務めることになった。指導するほどの高いレベルの知識・技術・経験などがあるわけではない。只、山行の年季だけは長い。毎月1回は山へ行く。これを40年近く休まず続けている。しかも一般登山のみならず、ヤブ山から沢登り、山スキーを一応はこなす。やらないのは本格的な冬山と海外遠征である。
 ヒマラヤ遠征とか若いころに一時的に本格的な冬山に打込んだ人は多いがほとんどは結婚や仕事の都合でリタイヤ、中断する。そんな人が50歳代になって山岳会に戻っても空白を埋めることはできない。大抵は理屈をいうだけになる。また、話をすると休日はゴルフ、テニスという人も多い。つまり登山をレジャーの中のスポーツという一面でしかとらえていない。山岳会の指導者層には案外こんな人が多いのだ。むしろ、ゴルフの話をしている時の方が楽しそうである。
 私の場合は登山をスポーツを含めた文化としてとらえる。
 沢登りは登山技術の一ジャンルというだけの把握では心もとない。岩登りが登山技術の基本とすれば、沢登りは登山文化の粋ではないかと思っている。尾根を伐開して道を開くまでは沢登りは登山の方法であった。登山技術の総合力を試される、という。即ち、滝を攀じ登るのは岩登り技術の応用である。途中でビバークする場合は幕営と生活技術が試される。
 その中の重要なものは焚火である。町中は当然であるが田舎でも焚火は堂々とやりにくい時代になった。ちょっとしたコツがわからなくなったのだ。
 古新聞紙を火種に枯葉、枯れ枝、流木を燃やすだけのことであるが、これが意外に難しい。時にはローソクやメタを使って火種の維持に努めるが中々に着火しない。焚火なしで寝るのは寒いし、着衣が濡れてはシュラフにも入れない。何とか100%のコツをつかみたいと思っていた。それで3個100円の料理用メタを常用したりもしてきた。
 着火の基本は火床になる地面に石を敷き詰めて地面からの水蒸気を遮断すると成功率が格段に上がると知った。たったこれだけのコツをつかむのに長年苦労したのである。これを知ってからはメタも不要になった。沢登りでツエルト張り終えて、料理の用意とともに焚火の枯れ枝集めは重要な仕事である。しかも明るいうちに集めねばならない。焚火は実用性ばかりでなく心を落ち着かせる効果もある。贅沢な時間の演出家であった。
 人類と獣の違いは第一に火を扱うことであった。火をコントロールすることであった。火の力は暖かい、焼く、煮る、乾かす、殺菌する、明るい、これは文化である。コントロールに失敗すると火事になる。焼失もする。軽量携帯のガスコンロ、石油コンロもあるが焚火はマッチ1本で自然にあるエネルギーを取り出し利用する。
 さて、一般登山では足を交互に動かせば先へ進める。沢登りは大抵は足場は濡れて滑りやすい。そこをバランスよく攀じる。また道標もないから読図力とRFが重要になる。総合力は随所で試されるのである。
 今回は台風の影響で急な増水を心配する向きもあった。しかし、栃を中心とする落葉広葉樹林の原生林は保水力が良いとされる。テントのフライを激しく叩く夜来の雨にも関わらず、顕著な増水はなかった。但し、日本アルプスなどの岩場の多い山では増水(鉄砲水)は必至であろう。ユメ入るべからずである。
 朝4時起床。前夜のうちに炊いて置いたご飯に鶏鍋を温めて朝食を済ます。テント撤収。林道を下って、6時前に入渓。最初はヤブっぽい渓相にがっかりするが1時間もしないうちに栃の原生林になって空が高くなった。しかも長々と滑滝になって奥へと続く。滝はすべて自力で越える。次は次はと期待して遡るうちに右岸に虎ロープが垂れ下がる滝に来た。これは滝の左を攀じ登った。ここでメンバーの1人が目に傷を負うアクシデントがあった。1人でリタイアさせたが、滝を登ったところで降雨があった。これ以上は雨雲の領域に突っ込んで行くことになる。
 昨日の偵察で、ここからの山道を辿れば林道終点に行けるので全員の撤退を決めた。行程の四分の一くらいだが、滑、滝、栃の原生林という美味しい部分は味わったのである。この先には溝状の滝が楽しみだったが後日に期することとした。
 山道は崩壊花崗岩の山の斜面を開削して開いた。林道に着いて国見峠方面を眺めると標高900m以上は雨雲に隠れていた。テント場まで下り、装備をはずし片づけた。池田温泉の開場は10時なのでそれまでの時間活用に揖斐川町の播隆上人ゆかりの一心寺の訪問を提案したら全員が乗ってきた。
 春日村美束で24℃の涼しい気温は平野部では32℃に上がった。台風の影響で亜熱帯独特の暑さにうんざりする。狭い路地を走り抜けて一心寺に到着した。少し歩いて城台山の城跡にも登った。一応頂上である。少し下に点名城台山4等三角点もあった。慰めにはなる。再び車で池田温泉に移動した。中々の名湯である。効験が顕著なのか朝から開場を待つ人もいた。ぬるぬるした成分がいかにもと思う。さっぱりした後は炎熱の名古屋に帰って解散した。とはいえ、まだ12時前だ。ベランダに濡れたテントとフライを干すと風にはためく。フエルト靴の泥を洗ってベランダに干す。次はまたどこの沢へ行けるのかな。

9月句帳2016年09月08日

 8/27清水谷遡行
   宇連川・鳳来湖
渇水におどろく秋のダム湖かな

澄む水の湖面に映る岸辺かな

水澄むや甌穴は風呂桶のごと

谷行けば滑三昧や秋の山

 9/3~9/4竹屋谷遡行

秋暑し春日村とて真夏日ぞ

天体に近し緑の秋の山

初秋や奥の山田も緑がち

峠より上はすっぽり秋の雲

赤とんぼもてなすごとく飛来せり

新涼のやはり山なる平かな

山川の澄む水を汲み米を研ぐ

秋の夜や焚火の枝は無尽蔵

線香の一本で足る蚊の名残

秋の雨フライを叩くほど強し

栃の実が落ちてゐる滑延々と

栃の実を一つ拾ひて土産とす

さわやかや雨の上がりし麓かな

目を枝で打てば身に入(し)む痛みかな

秋暑し揖斐を見下ろす一心寺

秋蝉や兵どもの城の跡(城台山)

湯がよろし池田温泉秋の昼

落ち鮎を食う2016年09月11日

  8/23親戚の葬儀で帰郷
手に重き籾俵持ち帰宅かな

  9/10根尾へ鮎を食いに行く
爽やかや根尾の落ち鮎食ひに行く

  樽見の手前から根尾川の彼方に
  前山を従えた能郷白山が見える
天高し根尾の能郷白山よ

秋川の彼方能郷白山よ

秋鮎は天然や藻が飛び出せり

焼き鮎に舌鼓打つ秋の昼

きのこ飯さっぱりとしたお酢の味

やはらかき木耳の噛み応へなり

   本巣農協
子持ち鮎のラベル鮮魚売り場かな

一房のぶだうを買ひし地場の店

無花果がパックとなりて売られけり

新米が小袋に詰み込まれけり

   板取川界隈
水澄むや河原で遊ぶ親子連れ

秋日和行列作るモネの池

モネの絵さながらに澄む小池かな

秋の田の一枚はもう刈取り後

奥三河・きららの森散策2016年09月19日

 気温は低くても台風特有の湿気を帯びた暑さがある。亜熱帯から脱出しようと、正午過ぎに出発した。行く先はきららの森である。樹齢300年くらいの原生林の下の林道でしかも東海自然歩道で整備されている。途中で降雨にあっても傘をさして歩ける。
 段戸湖に着いたのは14時30分。空は黒い雲が垂れ込め、どんよりしている。今にも降りそうである。何しろ愛知の屋根と言われる高原だから当然である。段戸湖にはマスをルアーで釣るために胸くらいまでたちこんでいた。
 軽い靴で出発した。ザックには一応渓流靴を偲ばせた。歩道からせせらぎに入ってもいいか、と思ったからだ。五六橋を右折して林道を行く。トイレとベンチがあるところからすぐに東海自然歩道が右折する。少しばかり歩いて見た。渓流にも降りてみた。倒木はあるがきれいな沢相である。登山靴でも飛び石伝いに歩けそうだ。仮称はなごや谷とした。この詰めのピークがなごや嶽と古文書にあったからである。今日は濡らさず、紅葉期に再訪するか。
 五六橋まで引き返して西川へ向かう林道を歩いて見た。初めて歩く。良く整備されている。分水界の峠まで約0.6kmくらい。途中から自然歩道が左右に分かれる。分水界を辿る自然歩道である。峠に着くと矢作川水系から豊川水系に変わる。明るいが桧の植林風景になり殺伐とした景色になった。ここで遅い昼食を食べた。切り株に座るために林内に上がると踏み跡があった。食後辿ってみた。どうやら整備中であった。尾根には木の階段ができていた。末端の明るいところには山岳同定の写真パネルが建っていた。遠方には宇連山、明神山が見えるらしいが今日は曇りで見えない。
 反対に1000mのピークに向かう尾根を登ってみた。うっすらとした踏み跡が続いている。左は原生林、右は雑木の幼樹が生えている。場所場所に記号が示してあった。もう一つの1000mへ登り返すとどんどん下る。沢の音がするので引き返す。どうやら原生林への連絡路はないと分かった。地形図ではすぐ近くであるが、原生林側からこちらへ来るには良いが、こちら側では彷徨することになってヤバい。峠まで大人しく引き返し元の道を帰った。
 帰宅後調べると「穂の国森づくりの会」なる組織が中部電力から寄付金で人工林を伐採後、雑木を植えてきららの森を拡大する構想と知った。つまり弁天谷の上部の西へ食い込む谷の一角である。道理で植林の様子が変わっていたはずだ。
 この辺りは江戸時代は天領で入山できず、明治時代中期に御料林に編入されて、井山から大蔵磯次郎らの木地師を西川へ移入させて、原生林の伐採、植林を行ったところだ。五六橋も大蔵磯次郎が命名したという。下流から数えて56番目ということらしい。西川からは山伝いに近いから足繁く通ったであろう。
 今は、自然志向が強くなり、桧、杉の脱植林を目指す方向にある。それの方が治水にも良い。ブナの吸水力、保水力は杉桧の比ではないようだ。なごや谷も水が枯れないのはブナの原生林を保存した故だろう。すこしばかり汗をかいたがすっきりした気分で帰名した。

9月句帳(2)2016年09月20日

蛇穴に入るを急がず草むらに

穭(ひつじ)田の青々と生ふ棚田かな

そこだけは黄金の色の稲穂かな

山川の岸辺を染める曼珠沙華

水引の花を例へることもなし

釣舟草きららの森の水辺かな

いつ見てもきれい檜扇菖蒲かな

敬老の日だなんてまだ燃へ尽きず

山霧や三百年の森育つ

霧雨に追はるるごとく帰るなり

特別寄稿「歴史と信仰の山を訪ねて」を拝読!2016年09月24日

 このほど日本山岳会の年報『山岳』NO111が届いた。早速ページをめくる。巻頭記事は徳仁親王(皇太子殿下)の「歴史と信仰の山を訪ねて」である。
 殿下は5歳の時に登った軽井沢の離山を皮切りに山歴50年という。登った山の数は170余りとある。皇室ゆえの制約を考えるとよく登っておられると思う。
 お好みの山は歴史と信仰の山だとされる。中でも歴史的に登拝の道そのものに関心を持たれている。つまり汗を流してそれ自体を楽しむスポーツ登山にとどまらず、「私にとって信仰の山への登山は、過去を偲びながら歩む生きた歴史探索なのである」と書いておられる。
1白山
2両神山
3伯耆大山
4大峰山
5甲斐駒ケ岳
6御正体山
7権現岳(八ヶ岳)
8鳥海山
9伊吹山
10大山(神奈川県)
11茶臼岳(那須)
以上
 各山を思い出とともに語られている。確かに白山は大自然と信仰の歴史の山である。立山や乗鞍岳と違って観光開発は最小限に抑えられている。山体が大きく眺めも抜群に良い。高山植物も豊富であり、山腹にはブナ、トチなどの喬木が残る。何より登山道と言わず、禅定道という歴史の道が皇太子の心に浸みこむのだろう。
 冒頭の文に戻るが「私は山を訪れることにより味わう大自然との触れ合いに大きな魅力と喜びを感じる。山に入るといかに人間が小さく大自然に対し無力なものであるかを感じるのは常である」、「私は、比較的静かで山体の大きい山を好む」と言われる。皇室の方とはいえ、日本人として共通の認識を抱いておられることに嬉しくもある。

俳人・夏井いつきのミニ研究2016年09月25日

 本日は天白区の俳句好きの集まり。定年後の2010年5月以来、73回目の俳話会になった。自分を含めても5名のミニ句会である。80歳近い老婦人3名と70歳代の男性1名の構成。
 一般的な選句ではなく、5句から10句を持ち寄り講評してゆく。その中の1人が夏井さんのような講評が良いと言い出した。当方はTVを見ないし、俳句総合誌も書店で立ち読みするだけでめったに読まないから最近のトレンドは知らない。
 自宅に帰って「俳人 夏井いつき」でぐぐると著作が多く、メディアにも露出が多く、かなりの人気のある俳人と知った。そこでミニ研究する。

1 映像化して分かりやすくする。
・・・カメラが普及するまでの時代はすべて言葉で表現しなけれならなかった。今は映像の世紀というから映像の補完的な役目を果たす言葉の斡旋が必要であろう。

2 単語を入れ替える
・・・・講評は句作の狙いに寄り添って添削する。適切な言葉の斡旋で見違えるように良くなることがある。作者からも感謝され他の人からも感動される。これをTVで何千万人の視聴者向けにやれば人気も出るわけだ。

3 名詞を動詞に替える。その反対もある。
・・・・これも添削でよくやる手法である。2と同じこと。但し、文語文法は必要性を度々説くが学習している気配はない。俳句は老年の文学であるが若いころから文語に親しむことで老境に至って突然分かる世界と思う。

4 毒舌家でストレートな物言いはTV向け・・・TVキャラクターの1つ。初心者向けには優しいと言われる。中々言いにくい毒舌でショックを与えるやり方。
但し、夏井さんは
「『プレバト』では、まさにヘタな俳句が出てきて、それを解説添削してくれというのがワタシに与えられた使命だから、それをいつも通りにやってるだけです。
 ヘタなものをヘタと正直に言ってるだけですが、それを毒舌だと捉えるのは、ま、そう思っていただいてもいいでしょう。が、ワタシは、毒舌キャラで売りたいタレントではありませんし、芸能人になろうなどとは思っておりません。
 いよいよ夏井さんが東京進出を目論んで打って出た!なんて噂してる人がいることも聞き及んでいますが、そのような意図は微塵もありません。ワタシはあくまでも俳人ですし、これからも俳人でしかありません。
 今後「毒舌ありき」のお話は一切受けるつもりはありません。「毒舌ありき」の話は、断るワタシの側も、それを期待した相手側にとっても、お互いに嫌な思いをするだけのオファーですから。」ときっぱりしています。

5 夏井さんはバツイチで再婚というのもぐぐると多くヒットしました。俳句は切れを重んじる。そのように指導されるので人生にも切れを入れたのかな。TVでの物言いもはきはきしている。教員になるための指導を受けているから無駄にはなっていないわけだ。主張することを理路整然と説く。少しあいまいにしておきたい男には辛い性格である。

6 昭和32年、愛媛県南宇和郡内海村(現愛南町)生まれ。宇和島東高校卒。
京都女子大文学部卒業後、教師を8年勤めて専門俳人になる。
俳句結社「藍」主宰の黒田杏子に師事。
平成6年に第8回俳壇賞受賞。
平成11年に結社賞を受賞。
愛媛県松山市在住。

・・・・以上の経歴を見ると国文学の教養を持った本格的な俳人と分かる。何より子規と同じ松山生まれであることで俳心がうずくのでしょう。松山は漢学も盛んだった。ということは地域コミュニティ全体が漢詩文の素養をもっているように思う。経済的には豊かでなくとも志の高い人が住んでいるのだ。
 子規の継承者は高浜虚子であるが、もう一方の弟子の河東碧梧桐も優れた俳人だったにもかかわらず、独善流に散ってしまった。層の厚い松山からは今後も俳人が出るだろう。
 
 かつて正月休みに松山市の皿ヶ峰に登山して作った作品を松山市の俳句ポストに投函したら佳作に入選して愛媛人形をいただいたこともある。旅人を喜ばせる仕組みがある町なのだ。
  大いなるブナの枯れ木や皿ヶ峰   拙作

7 俳句は言葉のゲームとしてとらえる・・・只の俳句番組なら飽きられるので一工夫するのでしょう。

8 感じたままを表現するという自由な句作をモットーとしつつも、季語と五七五の定型を守る「有季定型」に則った句作も大切にしている。
・・・これはウィキペディアの文。「藍」の基本精神と思う。

9 人気が出た理由・・・2013年(平成25年)より「プレバト!!」の俳句コーナーの査定員を務め、ゲスト出演者の作成した俳句を容赦ない毒舌ぶりで評価・添削する姿が人気を博し、一躍知名度が上がった。らしい。

 以下のユーチューブで見るとなるほど、こりゃあ人気がでるわい、と思わせるキャラクターの持ち主と分かった。出演者の顔ぶれも異色です。

プレバト
https://www.youtube.com/watch?v=ez7gi9cCT4A

 要するにメンバーの1人は夏井さんの容赦なく毒舌も吐く、切れのいい講評を望まれたのだろう。しかし、毎月同じ顔ぶれでそれをやったら確実に気分を悪くして脱会されるだろう。夏井さんの講評を視聴してみると特別なことは何も言っていない。自分でも言いそうなことばかりである。ここで思い出すのは権威であろう。
 「蠅叩き一誌持たねば仰がれず」じゃないけれど、結社を主宰する、俳句の研究、理論書を書く、句集を出す、TVに出る、総合誌の常連執筆者になるなどが条件になる。

 TVのプレバトは結局は俳句のショーである。夏井さんは番組のシナリオに沿って出演しているだけだろう。笑いをとるのも計算付くなのである。