変形性膝関節症2016年03月01日

 昨日、ついにY外科で診察を受けた。診断は変形性膝関節症だった。レントゲン写真を見ると、突起物がはっきり写っていた。あれが神経を刺激し痛みにつながっていたわけだ。元々膝は痛かったが、3日くらいで炎症は治まっていた。但し、体重増加が後押ししたきらいはある。がっくり。
 1月にはスキーもやれたし、2月には登山もできたがその後突然胡坐をかく際に激痛が走った。様子見していたが、階段を下る際に痛みがあるのでもう我慢してはならないと、受診した。
 服用薬を投与、けい皮鎮痛貼り薬、電気マッサージ、マッサージ師による治療を処方された。これは完治するわけではないのでまず、長年の課題だった体重減量をこころがけねばならない。

第15回東海岳人写真展 2016山と自然のパフォーマンス~始まる2016年03月16日

 3/15に開幕した写真展に行ってきた。山と自然のパフォーマンスと謳うだけあって、構図や切り取り方はまちまちで垢抜けしないものの登山者の息づかいが感じられる作品ばかりです。
 私も岐阜県奥美濃地方でいち早く雪が来て、春遅くまで雪が残る「春の能郷白山」と飛騨の「茂谷の沢登り」の2本を出品した。また、友人が出品した鈴鹿のツメカリ谷の深淵を私が泳ぐショットも中々に好評だそうだ。
 およそ山岳写真とは国内か外国の岩の尖った山岳、雪山が主流になろうか。加えて朝焼け、夕焼けがある。登山者とは登山道を歩くか、せいぜい岩を登る、雪の山を登るくらいしかテーマはない。
 しかし、長く山をやっているともうそんなありきたりのテーマでは感動しなくなる。そこで沢登りを思いついたというわけである。沢中だから当然濡れる。普通にはカメラを出しておれない。それが、エメラルドグリーンの淵をヘルメット姿で背中にザックも背負いながら泳ぐ。沢の写真自体が稀有である。しかも、登山道から撮影するのではなく、撮影者も濡れた身体のままで撮影する。貴重なショットになるわけだ。
 それにしても低山を楽しむ登山者が減ったせいか、奥美濃や飛騨の何でもない山の写真が少ない。山は名山ばかりではないことを知って欲しいものと思う。
 「春の能郷白山」はだだ山容だけではない。山腹の残雪と山肌との斑模様がネガとして見える雪形を想像するのも楽しいではないか。明治の鹿鳴館で踊るような貴婦人、江戸時代の娘さん風、猪などが見える。もっともにぎやかな春の能郷白山である。想像力を働かせないと見えないが。
 山麓の白山神社では毎年4/13に猿楽が奉納される。その奥宮がある信仰の山であり、別名は権現山とも称される奥美濃随一の名峰である。5月も半ばになればシマウマ模様となって緑の山に変わる。
http://tss1962.blog.fc2.com/

受験生2016年03月17日

 2/29 外科を受診
ズキズキと痛む膝診せ二月尽

しばらくはリハビリに行く弥生かな

 3/13 建設業経理士2級を受験
老いて尚簿記検定の受験生

難しき試験問題春憂い

春愁や及第点に至らずか

  3/15 ウィメンズマラソン
三月や大路に競ふウィメンズ

春日やあまたのランナー続々と

春めきし色鮮やかなウィメンズ

マラソンや春の都心を蟻のごと

  3/16 写真展に行く

水鳥が春の天白川に浮く

天白のヤナギ青める春の川

沿道に一斉に咲くシモクレン

ジャーナリストは天邪鬼2016年03月18日

 ネットで、フリージャーナリストの安田純平さんがシリアで拘束されていることが話題になっている。以前ほど同情論、救済論が盛り上がらない。その原因が、安田さんが、「日本はチキン国家」と批判していたから、というのだ。しかし、そのチキン国家の意味が分からないので検索してもヒットしない。
 チキンだけならスラングで臆病者の意味と知った。以前に日本人が拘束されて斬首されたことで渡航制限をしたことに対して発した言葉だった。つまり日本政府は臆病者国家というのだ。報道の自由もあるから自己責任で渡航させろ、というわけだ。それで行ったのであるから自己責任でまた斬首となってももうニュースにもならない。
 しかし、日本を臆病者国家とはジャーナリストの分際でよく言えたものである。日本人ながら日本の歴史を何も知らないらしい。日本は大国だった清国やロシアと対戦して勝利してきた。超大国のアメリカには負けた。つまり、臆病者だったら強者と戦わない。易々と欧米の植民地に甘んじてきただろう。命を懸けて戦ってきた勇気ある日本民族である。
 ジャーナリストって、俺が俺がと特ダネ記事を求めて命がけで取材に行く。しかし、その責任を国家に求めることはないだろう。太平洋でヨットで航海中、遭難したジャーナリストがいたが、荒海の中で自衛隊に救助された。日本に生まれて良かった、とか言った。せめてそんな心があれば救いの手もあるだろうに。日本国内ならば天邪鬼でも良いが国外は腹黒い。金づるとして利用されないようにして欲しい。

天邪鬼=「人の心を見計らって悪戯をしかける子鬼」とされることから転じて、現代では「他者(多数派)の思想・言動を確認したうえで、あえてこれに逆らうような言動をする"ひねくれ者"、"つむじ曲がり"」「本心に素直になれず、周囲と反発する人」またはそのような言動を指して、「あまのじゃく(な人)」と称されるようになった。(ウィキペディアから)

春の夜や昭和は遠くなりにけり2016年03月19日

      3/17 みよし市 BS日本のうた録画に参加
 ガチな島津亜矢ファンからお誘いを受けて応援に行った。昭和46年生まれの島津亜矢と昭和48年生まれの水森かおりのスペシャルステージを中心に往年の名歌手も出演する豪華な歌謡ショーにうっとりする。昭和歌謡全盛のころに赤ちゃんだった2人が揃って平成の芸能界に活躍する姿に感動する。放映は4/17。

  会場はみよし市のサンアート。午後5時半既に多くのファンが集う

春の夕三々五々と集まれり

徹夜して並ぶ亜矢どち春寒し

  昭和の名曲を島津亜矢が男歌、水森かおりが女歌の担当
   でメドレーで歌い継ぐ趣向

春の風邪癒へて元気な島津亜矢

春の夜や昭和は遠くなりにけり

活き活きと昭和を歌ふ弥生かな

どっぷりと昭和に浸る春の夜

さながらに春の夢見る心地して

写真展終わる2016年03月20日

ツメカリ谷の深淵を泳ぐ
 3/20の5時、写真展は97点の出品、入場者数2500人以上の盛り上がりのうちに無事終わった。私も作品の回収のために来場する。普段会えない会員も多く来られたので旧交を温める。
 昨日は長い交流があるが、病臥のままだった人が見にゆく、と連絡して来た。行って良かったと感想をもらしてくれた。写真展は写真を介しただれもが楽しめる交流の場にもなっている。
 会場には元気だった人も病気がちになり、姿勢を崩した人もいて、大変そうである。自分もいつまでも元気でいられる保証はないということである。反対に85歳にして、外国の山に行き、写真を撮影してくる人もいる。2年に1回だが、今回で終わる人もいるだろうし、新たな人も登場する。ここにも社会を反映した変化に絶えず影響される。
 写真展の作品は登山愛好家が自らの足で登った山での所見を切り取った瞬間の記録である。写真の技術に関してほとんどは素人衆である。それでもこれだけ多くの入場者~登山愛好者だけではなく、一般の写真愛好者も含めて~を集めた。中でも異口同音に関心を集めた作品があったので紹介したい。
 エメラルドグリーンの深淵を泳ぐ姿は筆者である。撮影はWさんである。場所は鈴鹿山脈の釈迦ヶ岳の近江側のツメカリ谷である。登山道を歩くだけではない、登山の一ジャンルである沢登りのワンショットが珍しがられたわけだ。水濡れは精密機械のカメラの大敵である。濡れやすい場所ではなかなか撮影の機会も限られるから貴重なショットになった。これも「山と自然のパフォーマンス」を標榜する当写真展の特色である。

春の雪山~雪崩の季節2016年03月21日

 バリエーションルートが余りにも開発されすぎて、危険と安全の境目がない八ヶ岳の中でも特に遭難の多い阿弥陀岳で又事故が起きている。先だって八ヶ岳連峰の阿弥陀岳南鐐で雪崩による遭難事故が起きて1名死亡している。表層雪崩とみられる。
 信濃毎日新聞が登山ガイドにインタビューした記事を読むと、雪崩が起きる場所とは認識していなかったようだ。登山ガイドは地元の人であり、同じルートを10回以上登っているという。それでも回避できなかった。
 ずいぶん古いが、同じ3月に阿弥陀岳の北陵に沿う谷のルートで指導的な立場の登山家が雪崩で死んでいる。同じルートを登ったが稜線からの下り口が漏斗状になっており、ふわっと雪が乗ると怖いところであった。下からは想像できないので降雪直後は登るべきではない。
 雪崩は体力や登山道具、登山技術だけでは回避できない。ベテランやプロガイドでさえ、雪崩に遭い、同行者を死なせ、あるいは自分も犠牲になっている。げに恐ろしきは春の雪山である。
 雪崩の場所や時間帯の予知は難しい。そうではあるが、昔から雪国に住む人たちは知恵を絞って対策している。古典的ともいえる『北越雪譜』に書かれた雪崩を知っておいても損はない。

 山より雪の崩頽(くずれおつる)を、里言(さとことば)に「なだれ」という。又、なでともいう。
 按ずるになだれは撫下(なでおりる)也。「る」を「れ」というは、活用(はたらかする)ことばなり。山にもいう也。ここには雪頽(ゆきくずる)の字を借りて用う。字書(じしょ)に頽(たい)は暴風ともあれば、よく叶えるにや。

 さて雪頽(なだれ)は雪吹(ふぶき)に双(なら)べて、雪国の難義とす。高山(たかやま)の雪は里よりも深く、凍るも又里よりは甚だし。
我国東南の山々里にちかきも、雪一丈四五尺なるは浅しとす。此の雪こおりて、岩のごとくなるもの二月(新暦の3月)のころにいたれば、陽気地中より蒸して解けんとする時、地気と天気との為に破(わ)れて、響きをなす。一片(へん)破(われ)て片々(へん/\)破る。其のひびき、大木を折るがごとし。これ雪頽(なだれん)とするの、萌(きざ)し也。

山の地勢と日の照らすとによりて、なだるる処となだれざる処あり。
なだるるは、かならず二月(注:旧暦の2月は新暦の3月に該当)にあり。里人(さとびと)はその時をしり、処をしり、萌(きざ)しをしるゆえに、なだれのために撃死(うたれし) するもの稀也。しかれども天の気候不意にして、一定(じょう)ならざれば、雪頽(なだれ)の下に身を粉こに砕くもあり。雪頽(なだれ)の形勢ありさまいかんとなれば、なだれんとする雪の凍(こおり)その大なるは、十間以上小なるも、九尺五尺にあまる。大小数百千悉(ことごと)く方(しかく)をなして削りたてたるごとく [かならず方(かく)をなす事、下に弁ず] なるもの幾千丈の山の上より一度に崩頽(くずれおつる)その響き、百千の雷(いかずち)をなし、大木を折り大石を倒す。此時はかならず暴風はやて力をそえて、粉に砕きたる沙礫(こじゃり)のごとき雪を飛ばせ、白日も暗夜(あんや)の如く、その慄(おそろ)しき事、筆帋(ひつし)に尽(つく)しがたし。
 此の雪頽(なだれ)に命を捨(おと)しし人、命を拾いし人、我が見聞きしたるを次の巻きに記しるして、暖国の人の話柄はなしのたねとす。
以上

 豪雪地帯に生活する人の観察記録である。江戸時代の文献なので旧暦である。2月は今の3月になる。3月になると朝早くに夜が明けて、陽光を浴び、気温があがる。日没も遅くなり、日照時間帯は雪も解ける。ところが夜になり、日没から時間が経過すると気温が低下し、夜明け寸前には最低気温となり、表面が凍る。この上に更なる降雪があると何らかのきっかけで雪崩る。
 上記の文では陽気が地中より蒸して解けんとするとき、とある。表面は凍っても、地面は暖められている。信じられないが、地肌は濡れているし、水が流れていることもある。雪解けは表面からもあるが、地面からも解けている。空洞もできる。表面からの刺激を受けやすくなるといえる。
 雪崩は自然現象だが登山者がきっかけをつくることがある。山の地形をよく知り、雪崩のメカニズムを知っておきたい。寒気と暖かさ、降雪と雪解けを繰り返しながら、5月になれば雪崩も消える。3月から4月は登って楽しい春の雪山であるが危険もはらむ。警戒しつつ楽しみたい。

スタッドレスタイヤ交換2016年03月25日

 先週の3/17に下見に足助町の林道を走った。未舗装だが荒れてはいなかった。帰名後、タイヤの溝に小石がたくさん噛み込んでおり、キーで少しづつ取っていた。取りのこしをとるためよく見ると、何と後輪に木ねじが刺さっていた。空気圧は減っているようには見えない。抜くと空気が抜けるのでそのままにしておいた。林道走行で拾ってしまったにちがいない。
 昨日、意を決して、ひざ痛ということもあり、今シーズンは再起不能と諦めて夏タイヤに交換を決めた。先日、倉庫代わりの車内からスキー板、かさばるスキー登山靴も家に入れたばかりだった。ベランダに保管してある夏タイヤをマイカーに積み込んで修理店にゆく。
 夏タイヤもずいぶん摩耗しているから新品を購入。丁度決算前で安くしてくれた。ついでにスタッドレスタイヤのパンク修理も依頼すると、その店ではスタッドレスはゴムが柔らかいので、修理不能と一旦は断られた。タイヤを交換するついでに木ネジを抜いてもらうと浅かったらしく、修理してもらえた。使っても来シーズン持てばいい。マイカーも20万㎞まであと少しだから新品を買うのは躊躇する。
 それにしてもあんな太い木ねじが刺さっていてもパンクしないなんて。キャラバンは自重だけで2300kgもある。急激にタイヤが凹んだら危険この上ない。安全性の高いタイヤに感心したことである。タイヤが新しくなるとどこかへ行きたくなった。足助にあるという樹齢300年超のぶなの巨木ブナ太郎に行くか。

ぶな太郎に会いに行く2016年03月26日

ぶな太郎
 金蔵連峠に着いた。すぐに森林内への不法投棄をパトロールの三州足助公社の軽トラが来た。ぶな太郎の場所を聞くと教えてくれた。あいにく地形図を忘れたが見当はつけてある。11時20分に出発。膝痛を抱えているので2本のストックを使う。
 やや急坂を登るとすぐに林道が交差する。少し先に尾根への入り口がある。尾根通しにいい道を歩く。この先は単調な植林の尾根を歩く。右前方に山頂部が自然林に覆われた大きな山が見える。あれは寧比曽岳か。すぐに筈ヶ岳分岐に達するが休みなし。急な坂を下る。林道が縦横に交差する。そのまま尾根へ登り返すと小さなベンチや防火水槽のあるコブに達する。若い多人数のパーティとすれ違う。小休止する。
 ここから緩く下るとまた左右から来た林道が交差している。左が中山林道からの延長だろう。ここまで12時30分だから1時間10分ほど。峠で聞いた話の通り、左に林道が分かれている。自然歩道から別れて林道に入ってみるが、終点で右から来た自然歩道に合流した。自然歩道は小さなコブを越えるので近道にはなった。992mへ登る尾根の基部になっている。左手の2mくらい離れた杉の木2本に黄色いテープが巻いてある。その間に踏み跡が奥へと続いている。
 教えてくれた道は、ああ、これか。12時48分、奥へ踏み込むと、黄色いテープが続いていく。微かな道に見える。かつてはよく来る人がいたらしいが、今はあまり来ないとも言われた。しっかりした道ではないが迷うこともない。5分で「ぶな太郎」に着いた。周囲を虎ロープで囲ってある。なるほど堂々とした風格がある。
 樹齢200年という。合体木ともいう。根は合体しているが幹は微妙に分かれている。高さは20mはある。太平洋型混交林だったのだろうが、周囲は杉の植林で落葉樹はない。
 白山や奥美濃辺りで見る巨木とは成り立ちが違う。あそこのは太い幹のまま天を突くように伸びて、枝分かれする。
 13時過ぎ、自然歩道に戻ると、峠で見た単独の女性ハイカーが驚いた顔でこっちを見た。熊じゃないよ、とメッセージを送る。元来た道を戻る。筈ヶ岳985m分岐で山頂に立ち寄る。13時37分。三角点の1つは踏んでおきたい。ここで初めて昼食タイムとする。峠まではさほどかからない。
 14時55分。峠まで戻ると、次は新盛町の㈱山恵を目指す。今年開業したジビエの店だ。ジビエとは山のイノシシなどの野生獣を仕留めて肉として売る。これを山からの恵みとして事業化したのである。イノシシの肉を少し買ってみた。工場では今、イノシシの解体中だった。開腹して皮を剥ぎ、ブロック肉を切り取る。これを精肉して冷凍してある。思ったよりは順調に売れているとか。
 山旅の民宿や山宿では山肉がごちそうになる。これまでに九州の宮崎県は大崩山の宿で鹿の刺身を食べた。福井県の勝山では熊の処女の刺身のルイベを食べた。子を産んだ熊の肉は硬いらしい。新潟県では熊鍋をいただいた。肉片はあまり味わえなかった。イノシシの鍋は比較的食べた方である。供給が安定すれば足助名物として宿で出すのも良い。その後、百年草で汗を流して帰名した。正常に歩けるので膝には負荷が少なかったようだ。

足助のぶな太郎吟2016年03月27日

金蔵連(ゴンゾレ)や白梅が咲く山の里

馬酔木咲く足助の奥の山の里

山里は春遅し梅白々と

仰ぎ見しぶなの裸木春の空

春空に枝の拡がるぶな太郎

茅枯れし筈ヶ岳にも春の風