桃の咲くころや湯婆にわすれ水 也有2016年02月23日

 桃が咲くころといえば3月下旬あたり。春暖の候となり、寒い間はお世話になった湯婆(タンポ)も使わなくなった。お湯が冷めたまま放置してあることを思い出した。ありがたみが薄れ、水を抜くのを忘れたというのである。中七でやで切ってある。それが格調と独特のリズムを産む。

ああ!桃の花が咲いとる。
そういや、湯湯婆はもう仕舞はにゃー。
あれ、重たいがや。
水が入ったままだでよー。
あっ、抜くのを忘れとるがねー。

こんな生活の場面をさっと切り取って句にしたのだろう。江戸時代の武家の何でもないやりとりでもこうして句にされてみると現代でも理解できる。切れ字のある発句は立て句とも言った。待ち遠しい春の季節へのあいさつの心を込めている。桃の花よ!こんにちは、湯湯婆よさようなら、ってわけだ。
 このような句を取り合わせ、配合ともいい、現代俳句の山口誓子はニ物衝撃論を著して理論化した。