伊藤洋平『回想のヒマラヤ』を読む2015年12月03日

 このほどアマゾンに注文してあった表記の古書が届いて折々読んでいた。本書は山渓山岳新書の1冊として昭和30年8月10日に刊行された。当時の価格で100円だった。

 著者は1923(大正12)年、三重県に生まれ、名大の前身の八高から京大医学部に進学した。医学生の頃、昭和22年に「岳人」を創刊したことで夙に知られる。京大では山岳部に所属した。1953年京大ヒマラヤ遠征隊に参加し、アンナプルナⅣ峰への登頂を試みて敗退。以後、医業に精力を傾け、ヒマラヤに近づくことはなかった。医業では癌の病因がウイルスと考えられていた時代にウイルスの研究に打ち込まれた。愛知県がん病院の初代ウイルス部長に就任したが、62歳で志し半ばで死去。
大正12年は西暦1923年。存命ならば92歳になる。余りにも早かった死去と思う。
 
 経歴を時系列で追う。生年以外の年号は未確認。

1923年 三重県の津市に生まれる
1933年 アメリカで医師をしていた父親と死別。母とともに三重県に帰国。

1935年から1940年の旧制中学の頃、津市の30km西に座す経が峰に自転車で行き、初登山。御在所岳、鎌ヶ岳に次々登山する。鈴鹿の山を大方登り終えた。八高に進む。

1940年から1943年 八高でも山岳部に所属し、穂高の岩場に連れて行かれ、氷雪の山へ導かれた。京大医学部へ進む。

1944年から1948年 京大在学中の1947(昭和22)年に「岳人」を創刊。『岳人』50号(昭和27年6月80円)に寄稿された伊藤洋平の誕生秘話を引いておく。
 「前略、私はふとIに、かねて夢に描いていた若い登山家の手で、純粋な山岳雑誌を創り上げる構想について話した。「そりゃ面白い」とIは即座に賛成してくれた。中略。それでは、誌名は何とつけるか。『蒼氷』『岩壁』そんな尖鋭な感覚を表現する名前が私の脳裏に浮かんだが、やはり何となく幅に乏しい感じで、いずれも気がすすまない。そのときルックザックにもたれて腕ぐみをしていたIが「山岳の岳に人―『岳人』というのはどやろ」と呟いた。がくじんーなんという力強い親しみのある響きであろう。このようなよい言葉が手近にあるのをどうして気づかなかったのか。「『岳人』そうだ、それに決めた」私は思わず車内で立上がって叫んだ」「今にして思えば、『岳人』が今日あるのもあるいは当然かも知れない。そして私もIもただ花粉を運ぶ蝶の役目を果たしたに過ぎず、本当に『岳人』を生み出したのは、わが登山界の新しい息吹に他ならなかったということもしみじみと理解されるのである。」
 
1953(昭和28)年にアンナプルナへ旅立つ。医師として隊員に加わった。本書の最初の裏に「この書をわが敬愛する京大ヒマラヤ遠征隊1953年の山仲間に捧げる」と記載。この遠征で書かれた紀行文が素晴らしい。
アンナプルナへの旅
嵐の中の遠征隊
中世の都にて
と3部作になっている。これらは串田孫一編『忘れえぬ山 Ⅲ』にも収録されている。その理由は伊藤洋平の名文だからと思う。頂上には立てなかったが名うての紀行家として名を知らしめた。アンナプルナへの旅は医師の観察眼でネパールの人たちを鋭く描写している。
嵐の中の遠征隊の一文「アンナプルナよさらば」には
 第Ⅲ峰の雪煙は、依然として立ち上がっている。その姿は、何匹もの白い龍が、狂喜乱舞しているように見える。
とある。
 およそ、登山家の文ではない。これは詩人の感性である。山岳雑誌「岳人」の前に詩集の編集も手がけている。比喩がうまいといえる。
 かつて、やはり登山家にして文章家の原真(1936~2009)は「よっぺいちゃん、文がうまいなあ」と関係者に語っている。よっぺいとは洋平の愛称。

1955(昭和30)年、『回想のヒマラヤ』を上梓。これ以外にも昭和24年から技術書、写真集、紀行集などを7冊以上出版した。古書で出回っている。しかし、今だれでも書店で買えるのは『忘れえぬ山Ⅲ』(ちくま文庫)のアンナプルナ関係だけだ。

1967(昭和42)年にはJAC東海支部の副支部長に就任。1970年のマカルー遠征隊長になった。1985(昭和60)年6月に死去。
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