北鈴鹿・万野に登る2015年11月30日

 11/28から11/29は山岳会の忘年会と今年は異例に増えた新入会員の2回目の歓迎会を兼ねた行事になった。宿泊は鈴鹿中部の朝明渓谷の山荘を貸切で利用させていただいている。もうはや常設会場になった。
 28日の食事の準備は買出し組に一任してもらい、新人3名と先輩新人3人、旧人2の8名で向かったのは近江の大君ヶ畑(おじがはた)だった。ここから茶野、大見晴、万野を結ぶ周回を計画したが、万野と大君ヶ畑の間が情報不足なのでそこから登ることにした。
 金山駅前を8時前に出発。今日の御池岳、鈴北岳の登山口はマイカーで埋まる。コグルミ谷の登山道も修復されて登山者が上ってゆく。鞍掛峠の登山口のPも満杯。R306を鞍掛峠のトンネルを抜けるとそこも満杯。登山口の大君ヶ畑へは9時30分過ぎに着いた。廃屋が多くなった。寺も廃寺になったようだ。ここだけは山眠る季節のせいですべてが眠るがごとく静かだ。
 万野へ向かうのはわれわれだけのようだ。最初は林道を進む。終点で沢沿いの廃道を歩く。沢の分岐で右のはずだが、上部にむかう気配を感じさせるケルンを見た。杭の上に置かれた石ひとつでそう判断した。沢は山抜けのために顕著な溝になっていた。
 地形図で送電線の下に巡視路があるはずとの読みで、落石に注意しながら急斜面を登ったが何も見つからず、そのまま尾根を登った。やがて、滝洞谷(北鈴鹿で一番の悪相の谷)を見下ろす本尾根に合流すると茶野が大きく聳えるのが見えた。われわれが登ったのは顕著な尾根ではなく、枝尾根であった。
 そのままゆるやかに登ると760mの等高線のコブに着く。ここからコンパスを見て真西に振る。すぐに赤テープを見出す。これは実は大見晴れへの目印らしい。そのまま西進すると三角点のある万野へ着いた。すでに11時30分なので茶野はおろか大見晴も断念して大君ヶ畑へ下ることに注力した。
 山頂の一段下に鉄塔が見える。そこまで下る。さいわいに巡視路のプラスチックの階段もみえたが、中腹から下は崩壊して急斜面の土に埋まっていた。等高線の詰まったイメージ通りで、踏み跡もなく急斜面の下山は困難を極めた。時々落石もあり緊張した。メンバーの1人が足がすくんで恐がるので、旧人が持っていたロープで確保してもらった。何とか難関を突破して、下ると尾根が顕著になった。その辺りから巡視路のトラバース道らしい踏み跡もあったがそのまま尾根を下った。
 万野から真北に伸びる尾根と登りにとった尾根との間に挟まれた小尾根のようだ。末端らしいところで一旦左に振るが、別の(北)尾根にトラバースするので、沢に下ってみると、落ち込みが急なので、末端に戻って右に振ると踏み跡が現れてそのまま登りにとった沢を横切った。対岸に見覚えのあるケルンを見た。何と、そのケルンは登る際は右に振れ、というサインだったのだ。よく見ると、山側に踏み跡が続くので下ると林道終点に下りた。2時過ぎだった。

 8人中6人の新人様には道なく、道標もなく、不安なことであったと思う。それでも地形図を食い入るように見て、コンパスを見て、地形を読みながら、悪場をしのぎながら無事に下山した。この体験を大切にしてもらいたい。
 鈴鹿ではどんな変なルートでも殆ど人に会わないことはない。そのジンクスは今日は通じなかった。それだけ変なルートだった。これが本来の山登りというものである。
 8人が迷いつつ、目的を万野登頂に置き、苦行(というほどではないが)を続ける。それは確かにわずかでも忍耐を要するし、正常な人には理解できない行為なので「精神障害」を疑われるかも知れない。

原真『乾いた山』から
 「我々はみな多かれ少なかれ目的の固定化によって、頂上へ向かって歩き続ける。歩いては止まり、止まってはまた歩く。立ち止まったときにはただひたすら呼吸をする。よくのどの粘膜が破れないなと思う。頂上は目前に迫っているのに歩調はますます遅くなる。この苦行に満ちた単純作業は、忍耐でもあり、悟りでもあり、精神障害でもある。」

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