奥三河・段戸裏谷から寧比曽岳界隈を歩く2015年06月07日

 早暁、自宅から東の段戸高原の方を眺めると雲が厚い。午後にかけて天気は良くなるとの期待で、遅めに出かけた。出来山の撮影が主目的だったが、結局は寧比曽岳に登ってしまった。
 段戸湖についたのは午前10時30分。40分に出発。30年来歩いた林道だがここだけは変らない。56橋で右折するとしばらくでトイレが建っている。ここから出来山と東海自然歩道に分かれる。歩道に入るとようやく山道らしくなる。すぐ近くをせせらぎが流れ、30m以上の樹高がある裏谷原生林の霊気を感じながら歩く。周辺はすべて伐採されたが、この一帯は意識的に残された。愛知県の山は植林が優勢であるがここだけは別天地である。
 太平洋型混交林という。ぶなはイヌブナだろうか、日本海側のシロブナに比べてねずみ色している。純林ではなく、混交林だからツガ、モミ、トチノキも混じっている。見事なものである。殆ど高度を稼がないから汗もかかない。平坦だからひたすら歩く。そのうち、峠のようなところを軽く越えたらしい。ここまでは矢作川水系である。
 峠からは豊川水系になる。植生は桧の植林に変った。山腹を巻く、谷筋に食い込み、薄暗い、単調な山歩きである。林道と交差したが、地形図にはない。先を行くしかない。原生林では右が谷、分水界を越えると植林になり、左が谷、次は植林だが右が谷になった。ゆるやかな下りをいくと峠に着いた。ここは両側とも矢作川水系になる。
 古い5万図には富士見峠と書き込みがある。ガイドやネットでは1120mのピークが富士見峠である。1977年版エアリアマップ「愛知高原・犬山・揖斐」からの転記である。私が初めてこの地に来たのは昭和57年頃だったからよく利用した地図である。その後変更されたものか。確かに寧比曽岳の隣の1120mピークに峠とするのはおかしい。書き込みには大奥山側と民地側にも朱線がある。そして出来山にも点線の書き込みがある。もう記憶はないがここからは出来山へは行けなかったと思う。出来山は金沢国有林側から藪漕ぎで登った。
 鞍部から富士見峠に登り、休憩、中電の鉄塔を往復。すぐに寧比曽岳に着いた。12時50分着。段戸湖から約2時間。避難小屋から出来山がきれいに見えた。ここより低いので登頂欲は沸かない。山頂からは西によく開けている。南アルプス方面は茶臼山が見えたが、背後は曇に隠れている。気温は13℃を示すから小寒いわけだ。
 休憩後、下山開始。13時30分、出来山分岐とする鞍部からは民地側に下った。かつて、最奥の開拓農家の家で道を尋ねた際、寄って行け、と言われて上がると、夏でもコタツがあった。塩茹でしたジャガイモの小さいのをお茶請け代わりに食べさせてもらった。桧の植林の中の踏み跡はしっかりしている。途中には「東海自然歩道」の案内板も残っていた。やっぱり、この道は支線として利用された時代があったのだろう。いくらもせずに民家に着いた。山家風ではなく、近代的デザインの洋風の家があった。無人である。裏側を通ると車道に出た。びっしり植林の風景になった。まったく記憶にない風景だった。

 約30年前、暖かくもてなしてくれた開拓農家の夫婦が居た家は夢幻だったのだろうか。事情を尋ねる山びとすらいない。

 車道を下るとまだ住んで居そうな家は1軒のみあった。人影もないので過ぎると橋を渡り、右からの県道364号(田峰東大見線)に出会う。橋はズンボ橋という。地形図を見ると黄色い線は県道だが行き止まりである。山道とはつながっていないようだ。
 下ってゆくと民地橋を渡る。更に下流では桶小屋橋を渡った。ここで14時になった。そこで二股になったが、黄色い県道は舗装、左は草深い感じがした。県道を行くと登りになり、岡田養豚場の看板を見送る。地形図の建物マークだろうが、今は閉鎖か。更に登って峠を越すと桶小屋第一支線林道の分岐に着いた。この林道は段戸湖への近道なので歩いて見た。14時55分に段戸湖に着いた。段戸裏谷原生林を一周したことになった。
後日談
 古い会報綴りを読むと、昭和56年7月26日(日)に3人で登っていた。ここには「桶部落より富士見峠を経由する。 登り40分、下り30分。と簡単な記録のみだった。桶小屋橋はあったが桶部落が不明。段戸川沿いに民地がもっとも近い地名。民家は1軒あったが地形図から地名は消えた。
 桶を作る職人が居住していたのだろうか。江戸末期の絵図には桶小屋の地名がある。多分、昔は裏谷と同じような原生林の自然環境だっただろう。江戸時代の御林から段戸山御料林へ、その際、木地師を導入して、伐採させたという。
 以下は聞きかじった知識をまじえた妄想であるが、戦後、国有林の一部を復員してきた家族に土地と仕事を与えるため開拓地として、民間に払い下げ、地名の民地もこれに由来かな。段戸湖も本来は農業用ため池だった。しかし、離村が相次ぎ、米作は出来ず、利用者なく、虹鱒の釣り場に転換。段戸湖の管理人の話では標高600mくらいまで下がらないと米作畑作もうまくないらしい。