余寒 ― 2015年03月05日
余寒とは余裕の寒さと覚へたり
またとなき青空の下柳の芽
梅咲くやそろそろ事を起こすべし
春眠の麻酔のごとき夢心地
冴へ返る水面に鳥が石のごと
山友の叔母の訃報や二月尽
春宵や幕末史など読み耽る
またとなき青空の下柳の芽
梅咲くやそろそろ事を起こすべし
春眠の麻酔のごとき夢心地
冴へ返る水面に鳥が石のごと
山友の叔母の訃報や二月尽
春宵や幕末史など読み耽る
by koyaban [短歌&俳句] [コメント(0)|トラックバック(0)]
登山と自然を愛して四季の山歩きをしています。その見聞を綴りました。又、登山や自然に関した俳句、写真、書物、人などのことも折々書いていきます。
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「悪天候は人を死地に追い込むためにあるのではないということである。厳冬1月も寒冷さ、風雪の狂う高所では、人の生存を拒否しているようであるがそこへ登ろうとするものは、それがどのようなものかは、すでに分かっているはずである。また、それに立ち向かう自由と、さける自由は登山者自身に許されている」
「その五体を安全に守ってくれるのが、山の常識であり、山の技術である。知識だけではなく、ことにのぞんで反射的に行使されるまでに身についていなくてはならない。それは何も高度な技術を要求していない。要するに山での危険というものは、山にあるのではなくて登山者自身にのうちにある、ということを、はっきり知っておくことである。」
東海銀行山岳部「さすらい」2号(昭和38年)の寄稿から
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