第41回天白川俳句会2013年10月27日

 秋深し!ひんやりした秋冷が迫る。ベランダに出て、北を見るが、まだ白い御岳山は見えず、遠くの空も霞むままである。立冬以降にならないと見えない。
 今日は午後から句会だ。早いものでもう41回目になった。70歳を過ぎて、よちよち歩きの人たちが立派な俳句を詠めるようになった。すべて向上心の賜である。繰り返し理論的に批評を加えて、質問し、手直しして見せる。体系的な講義ではなく、実践を通じて、マンツーマンに近いメソッドだからある意味贅沢な句会である。
 どんな有名な俳人も最初は初心者同士、好きなもん同士で研究し、研鑽して良い句を詠めるようになった。
 
 さて、今日の作品は

白帝城陰の冷まじ古りてなほ    順子

・・・白帝城は国宝犬山城の別称。つとに知られた名城である。城陰で人を待っている。晩秋の冷えが身を包む。別称は李白の漢詩から採用されたらしい。
 早に白帝城を発す
 朝に辞す白帝彩雲の間
千里の江陵一日にして還る
 両岸の猿声啼いて住(や)まざるに
 軽舟已に過ぐ万重の山

http://inuyama-castle.jp/

百舌晴れの嶽の姿ぞ朝の空     宏子

・・・作者には鳥に詳しい友人が居る。いつしか自宅の周りに来る鳥の名前を覚えた。秋日和でも良いのだが、得意の鳥を詠んだ。朝の空には黒々とした木曽の御岳山が見えたという。山名を入れず読者の想像に任せる句がいい。

山づとの夕餉に供す栗の飯     和子

・・・山づとは「苞」の字を当てる。山里からの土産の意味。山村で購入した栗で栗飯でも炊いたのだろうか。新潟県上越市の高田城の近くの旅館で泊まった際は腹いっぱい栗飯を食べた。翌朝も残り飯をおにぎりにしてくれた。確かに山づとである。
 和歌には「あしびきの 山行きしかば 山人の 我に得しめし
山づとぞこれ    先太上天皇 (万葉集・4293)」があり、古い言葉だと知る。
 
鰯雲心に甲斐の富士を観る     且行

・・・八ヶ岳山麓で行われたコンサートで突然の脳溢血を発症。周囲の人の的確な救護で適切な治療を受けて後遺症もなく完治した作者。病窓からは富士山が否応なく見える。旅人の一瞥するだけの景色ではなく、無聊を慰め、心に住み着いた甲斐からの富士の姿。鰯雲の季語が効果的。

鬼面山櫓に立てば天高し       拙作

・・・珍しい丸太で組んだ櫓。1等三角点の頂上からは遮るものがないほどの素晴らしい展望が広がった。明治初期、木曽駒、摺古木山、恵那山、熊伏山、黒法師岳、赤石岳、戸倉山などの1等三角点とは松明の火で測量したという。20年後、真下をリニア中央新幹線が真下を貫通する。