北アルプス・金山沢滑降!2013年04月30日

 4/28、5:40頃、W君と合流。R41を走り、名神・小牧ICから安曇野ICを経由して、白馬村猿倉のPで待つYさんと合流したのは午後11時過ぎになった。Yさんの車をデポし、明日の用意を私の車に乗せ変えて下る。とある河原でビバークし、寝たのは午前0時30分になった。
 4/29、5時丁度、目覚ましのベルが鳴る。外に出ると快晴の空模様であった。朝食をとってから栂池に向かう。しかし、意外に早く着いてまだ6時である。何気なく観天望気していると、稜線に黒っぽい雲が出始めた。天候悪化の兆しか。
 8時、ゴンドラに並ぶ。ほぼ1番のグループで乗車できた。上部ではまだスキーができる。8時30分発には乗れず、臨時便に乗車。すぐ最終駅に到着。係員からの注意を受ける。雪崩れが多いので注意をして下さいと。
 また、4/16に栂池から雪倉岳に山スキーで向かって行方不明になっている方の奥さんから捜索協力の呼びかけを聞いた。52歳、単独行、山岳会は無所属(らしい)、典型的な遭難のパターンに当てはまる。体力、スキー技術、幕営技術と揃うと冒険したくなる。

 雪倉岳の方面への登山者が増えるのはこれからである。雪倉岳周辺で山岳スキーを楽しんで、白馬大雪渓を滑降する記録を見たことがある。また、雪倉岳へ向かう三国境から西には山スキー向きのバーンが広がる。雪倉岳を踏んで戻るつもりだったのか。手がかりを求める家族総出の捜索活動が心を打つ。

 外でシールを貼り付けた。天気は上々にみえる。前方を多くの山スキーヤーが歩いていく。栂池自然園も今は真っ白な雪原が広がるばかりだ。傾斜の度合いが増すと休みを入れて高度を上げる。
 傾斜がきつくなり、パラパラと霰みたいなものが顔に当たる。風も折々強く吹く。前線が近づいて、天気が崩れる気配である。尾根で休むとヘリコプターの音がする。どうやら白馬大雪渓の雪崩れ遭難者の救助活動のようである。

 稜線はすぐ近くに見える。遅々として進まないのは体力不足もあるが、傾斜がいや増すからである。結局、白馬大池の南に位置する2471mの独立標高点でスキー登高を打ち切った。白馬乗鞍岳よりは高い地点である。風が非常に強い。稜線はもっと強いだろう。シールを剥がし、シールの糊をふき取る。ワックス処理を施す。
 12時15分。滑走を開始。地図上で池の印の平まで一滑りした。中級バーンといったところ。但し、新雪が腐ってスキーは思ったより走らない。太ももの筋肉が張り気味である。平からはかなり傾斜のある上級バーンを突破。雪質が悪く、スキーが走らない。傾斜が強いから落ちてゆく感覚である。稜線を見上げると雪庇が張り出している。今は寒いのでコンクリート化しているが気温が緩むと崩壊し、凄い勢いで転がる。登山者が巻き込まれることもある。私の友人はこれに当たり、首の骨を折って死亡した。
 再び、平らなところへ出て何ということなく休む。後続のパーティーが続々滑降してくる。当方はおじさんパーティであるがみな若い。あっという間に追い抜いてゆく。点になって見える。当方は休み休みしながら滑降をしてゆく。狭いところのデブリを通過した。

 小蓮華の尾根が下っているところで、また、白馬大雪渓の本流と落ち合うところからは白馬岳の東に伸びる岩むき出しの尾根が見える。Yさんの若かりし頃、正月合宿で登攀した話を聞いた。下山は大雪渓を尻セードで滑ったという。

 大きな堰堤を乗り越えた。車道らしい平坦な雪道を滑る。大きく蛇行する道をショートカットしてゆくと猿倉荘の屋根が見え、Pが近づいた。傾斜がきついので車道を忠実に下ってPに降り立った。14時過ぎだった。出発前に危惧した天気はよくもって快晴の元で大滑降を楽しめた。

 Pには長野県警、地元のTV局の車が駐車していて、雪崩れに埋まった登山者の救助活動が終わっていないことを知った。岐阜県の1名は死亡が報じられ、山口県の2名は行方不明のまま。関係者には気がかりなことである。栂池の説明員に聞くと、大雪渓は雪の落ち着く5月下旬でないと危険と言われた。
 多くの登山者が危険と知りながら入山してゆく。雪崩れは自然現象と思われているが登山者自身が引き起こしている可能性もある。山スキーならば急傾斜になるとジグザグに雪面を切るからだ。

 デポしておいたYさんの車に乗って出発地の栂池に戻る。その後も余韻を楽しんだ。ついさっきまであそこに居たんだなあ、と稜線を指して。するとゴンドラ中間駅附近から小火らしい煙が上がった。何だろうと訝って居ると消防車が飛び出していった。火事だった。

 八方に移動して、熱いお湯に汗を流した。そして、R148沿いの蕎麦屋に寄って蕎麦を食べた。天ぷらも注文した。女将に聞くと「こごみ」というらしい。まさに春山の味である。

 ワンディ山スキーの報告でした。