信州山岳ドライブ登山③2013年04月10日

聖山の一等三角点は右書き(平成5年改埋)
4/7(日)の朝は雲が低く垂れ込めている。北アルプスも上部は隠れたままだ。天気予報は大きく外れたようである。台湾坊主といわれる二つ玉低気圧であるが、南岸の太平洋側の地域に大きな影響を与えたらしい。むしろ、北は軽微だったと思う。

 今日は、2泊のお世話になったAさん宅を去る日である。Aさんご夫婦も所用で名古屋へ帰るらしい。それでもこの4月、5月は友人らの訪問を受ける予定で忙しそうである。そして1年で一番輝かしい季節でもある。

 大雨ならば無理せず帰名と決めてきたが、持ちそうな感じなのでドライブ登山と、善光寺参りを果たしたい旨、提案するとOKとなった。

 かつて、一度は登ったことがあるようなないような陣場平山1257.5mの一等三角点を目指した。オリンピック道路までは昨日と同じルートを辿る。R19へ合流する手前の有料道路を迂回し、R19に一旦出る。明治橋の手前の交差点から七二会(なにあい)の山腹を走る道に左折。地図で見ると木綿糸が絡み合ったような細い道を駆け抜けて、地蔵峠を目指す。峠の広い駐車場に車を止める。季節が良い時期にはトレッキング大会があるようだ。

 大きな案内板のルートに従って林道を登ると約20分で山頂だった。ここは木立に囲まれて展望はない。少し先に展望台が設けられたが、今日のように春雷が鳴り、小雪か霰が降ってくるのでは、展望は望むべくもナイので割愛した。
http://www.city.nagano.nagano.jp/soshiki/naniai/23543.html

 同行の女性らは行きも帰りも蕗の薹を摘むのに余念がない。よっぽど、蕗の薹を摘むのがお好きなようだ。食べきれないと思うほどの量である。聞くと山岳会でお世話になっているIさんへの手土産にするそうである。やや寒い。これが本来の春の寒さであろう。R19へ下る。

 R19を走って長野市の市街地に向かう。善光寺は傍を通ったのみで参拝はしたことが無かった。境内に隣接した広い第一駐車場へ止めて歩く。料金は2時間まで500円。日曜日だが、入りは30%くらいで閑散としている。
 
 目の前に見上げる堂宇が本堂である。参道の周囲には桜などの花が植えてある。今は三部咲きといったところか。正面へ回り込むようにして、線香を購入し、着火し、中へくべる。その煙をいただく。次はびんずる尊者で撫で仏ともいう。自分の悪いところを撫でると治るという信仰にあやかる。靴を脱いで、「お戒壇巡り」の通路に下る。真っ暗だが、照明はなく、携帯電話での脚下照顧も駄目なようです。

 善光寺さんのHPには「お戒壇巡りとは、瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡り、中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来ていただけるという約束をいただく道場です。」とある。そろそろ、お迎えもありうる年齢に近づいたから1回は体験するに越したことはない。

 よく「お先真っ暗」というと将来の希望のない例えであるが、御仏に委ねる心をゆうのであろうか。仏にすがって生きること。親鸞は他力本願を説いたように。他力とは仏の教えのこと。仏にすがらず、お念仏を申さない人間を自力といった。

 善光寺さんは無宗派という。広い心でお迎えをしていただける。
 
 本堂を下がって、仁王門までの参道を歩いて見た。両側に土産物店、食堂、名物のおやきを売る店も並ぶ。この界隈は中々の人通りがあった。本堂にに戻り、駐車場に帰った。

 世に名高い善光寺参りを果たした。

 最後は、髻山744.5mへ登るために、北国街道(県道60)を北へ走った。平出というところからりんご園を抜けて山に向かう。古い道標に従うが、林道が荒れているので途中で、車を置く。傍らにはカタクリの葉が沢山でている。これから咲くであろう。ぬかるみに気をつけながら約10分で雑木林の中の山頂に着いた。昔は山城だったらしい。

 HP長野県山岳ガイドINDEX「信州の山」から
「川中島合戦には重要な山城だった。山頂からは善光寺平の中央部にある川中島が見え、そこは上杉謙信と武田信玄が戦った地でもある。謙信はこの山頂に陣を設け、川中島を視察したと伝えられる。この時謙信は髻(もとどり)を切り、ここに埋めたのでこの名が付いたと言われたり、善光寺平から見た山容が髪を結った形に似ているからとも伝えられている一等三角点の山。
 歴史的に重要な山ではあったが、里にも近く標高も低いので登山の対象にはならないようである。北斜面は山頂近くまで杉植林で覆われているが、カタクリや福寿草の群生地があり、季節を選べば楽しめる山。」

 もうひとつのHPにも

【城郭の歴史】
 ここ髻山城址は戦国時代数次の川中島合戦において葛山城,大峰山城,旭山城,横山城,飯山城の諸城と共に宿敵武田信玄の野望を粉砕するため越後(現在の新潟県)の勇将上杉謙信の重要な砦であった。
当髻山城は本陣横山城と飯山城の中間に位置し、その眺望は大変優れ、東南には妻女山・犀川・千曲川・川中島平等敵味方の動静を見渡せ、西北には北信五岳から越後の空を見渡すことが出来る。眼下には自軍の動脈である北国街道を守った。

 弘治3年(1557)武田軍の髻山城攻撃の際の猛将・長尾政景の大奮戦、また永禄4年(1561)川中島大決戦後の撤兵収束の見事さを後世に残した名将・宇佐見定行の采配ぶり、打ち上げるのろし等々戦史を彩った幾コマかがこの城に残されている。
「宇佐見沢」(髻山入口)の「馬かくし」(城址北側の空掘)、「抜け穴」等の地名によって追想することが出来る。
                 長野市観光協会   現地案内板より
以上

 山城らしく平坦な山上になっている。また1等三角点の山は周囲に見晴らしがよい。善光寺平の俯瞰、小布施、須坂も俯瞰できる。要害の地だったことは間違いない。

 この山は明治維新後、日本の地形図制作の元になった須坂基線と結ぶ重要な山で、その証拠には全国で48箇所しかない、天測点が置かれている。
HP「新・高井野風土記」に詳細に紹介されているので必見だ。
http://www.okadanouen.com/takaino/suzakakisen.html
ブログ「ロゴスの散歩」から
http://blogs.yahoo.co.jp/cocologosjp/32619155.html
HP「長野県の探索ダイアリー」から「長野県の1等三角点」
http://thresholdhunter.web.fc2.com/sankaku/sankaku00.htm
上記の図は重要なものです。髻山、聖山、岩菅山の展望は半端じゃないから納得です。
 但し、今日は志賀高原の頭の部分が雲で被われている。高井富士はようやく山頂の輪郭が見えている。長野県に三十三座ある1等三角点のうち、二十五座に登れた。

 思わぬ天気予報のズレで三日間とも行動できて、5座登れたから満足して帰れる。豊野駅へ下り、橋を渡って、小布施の道の駅で休んだ。栗の銘菓のお土産が売られている。名所らしい。ソフトクリームを食べながら窓から眺めた北信五岳が素晴らしかった。
1妙高山、2黒姫山、3戸隠山、4斑尾山、5飯縄山

 小布施からはダイレクトに高速へ入れる。友良、山良、季節良、言うことの無い春の信州・ドライブ紀行でした。