土を喰う2013年03月10日

 暖かい春の1日を過ごす。午後になって買い物に出かけた。スーパーの惣菜売り場は以前は利用したが、最近は自家製でまかなう。割高ということと味は今一だから。しかし、惣菜の見本市としての利用価値はある。今日は某スーパーで、旨そうなきんぴらごぼうを見た。それをヒントにする。ゴボウ、ニンジン、こんにゃく、牛肉を仕入れる。

 水上勉の『土を喰う日々』(新潮文庫)、『精進百選』(岩波書店)を読むと、「畑に相談する」という言葉が出てくる。禅寺の台所を受け持っていた水上勉は和尚さんから客人に出す酒の肴を言い付けられると、「畑に相談」して献立を考えたらしい。境内の一角にある畑に出て、植わっている野菜を見て惣菜を考えるのである。そうした精進料理の数々を写真で紹介した本である。

 私など農家の長男ながら、わけあって糸の切れたタコみたいに家を出て、田も畑も失えば、現金を稼いで買うしかない。かつては、味噌、梅干、漬物は自製、鶏を飼い、卵を産ませるし、近くの川ではシラハエ、ウナギ、ナマズ、エビ、カニ、アユ、フナなどみな獲れた。川は共有の生簀であった。田植えが終わり、消毒する時節が来る。余った消毒液を川に捨てる事件があった。すると川の至るところに魚が浮く。死んでしまったもの、苦しそうな魚など、この小さな川にこんなにも生物がいるのかと思う。翌年にはまた豊かな魚が泳いでいた。
 今は水さえも買わねばならない。生産する側の立場をも去ってしまえば、一介の消費者に成り果てたのである。今日の夕飯の惣菜は何にするか、とデリカフーズを見回して相談することになる。

 さて、土で真っ黒なゴボウである。これを見るとまさに「土を喰う」気がする。ごぼうに詰まった大地の養分をいただくのである。土をたわしでごしごし洗う。使い古した包丁を当てて、更に皮を剥ぐ。いい香がする。綺麗になったところで、千切り用の器具で削いでゆく。添え物のニンジンを削いでゆく。別の鍋に浸してあくをとる。暖めておいたフライパンにごま油を引き、牛肉、ごぼう、ニンジン、こんにゃくを炒めてゆく。醤油、みりん、酒少々で味を調える。出来上がる。
 味は今一。特に牛肉がぱさぱさして不味い。まるで牧草飼育のオーストラリアビーフの味である。国産牛(多分、乳牛の処分)と銘打ってあったが、高くても和牛のバラにするべきだった。ビーフ抜きでも良かったかも知れない。