御名残御園座歌舞伎観劇記2013年03月08日

 御園座は今年3月26日の興行で閉幕後、再開発のために取り壊し、2018年7月にオープンする予定になっている。3/7は、3/2から始まった御名残御園座の三月大歌舞伎を楽しんだ。
プログラムは以下。
昼の部は11時開演
一、小栗栖の長兵衛 一幕
(岡本綺堂 作、 市川猿翁 演出)

 主役は市川中車(いちかわちゅうしゃ)である。元は映画俳優の香川照之である。映画「剣岳 点の記」の中で、山案内人の宇治長次郎を演じた。人相は梨園の格式高い出自にしては、野生的で精悍そのものであるからはまり役である。
 長兵衛役も農民であり、酒飲みで、女好き、粗暴、野卑な風貌を求められるので、香川照之のイメージに合う。
 時代は戦国の世、京の都の伏見の山際にある小栗栖なる山村を敗走中の明智光秀を訳もわからぬままに竹槍で突いた。偶然、腹を刺したか、すぐに刀で竹槍の先を切り落としたものの、出血多量?で死を覚悟し、切腹、自害した。この先っぽを現地で拾った秀吉側の武士が、褒美を与える目的で竹槍を持った野武士を探しにきた。
 小栗栖のムラで、村人等は最初はそんな人は居ませんと、いうのだが、暴れてぐるぐる巻きにされた長兵衛が自分だ、と名乗ることで物語が急転回する。
 全体にコミカルで軽い内容の楽しい舞台劇だった。

二、猿翁十種の内 黒塚
(木村富子 作)
筝曲 唯是震一+中島靖子 社中出演
四世 杵屋佐吉 作曲
    吉井澄雄 照明

 これは日本百名山の安達太良山山麓の二本松市の黒塚伝説を題材にした物語。WIKIから引用すると
「黒塚(くろづか)は、福島県二本松市にある鬼婆の墓、及びその鬼婆の伝説。安達ヶ原に棲み、人を喰らっていたという「安達ヶ原の鬼婆(あだちがはらのおにばば)」として伝えられている。黒塚の名は正確にはこの鬼婆を葬った塚の名を指すが、現在では鬼婆自身をも指すようになっている[2]。能の『黒塚』に登場する鬼女も、この黒塚の鬼婆だとされる。」

 これでは何かわからないので検索で探しましたら二代目「市川猿三郎 二輪草紙」がヒット。ブログから転載させていただきます。ブログ主は「澤瀉屋(おもだかや)」の門人で、今回は御園座にもご出演されています。小栗栖の長兵衛では、立場茶屋 重助役、ぢいさんばあさんでは柳原小兵衛役。
http://blogs.yahoo.co.jp/enzaburou/folder/335280.html


「福島県二本松市の、鬼婆伝説の中に『黒塚』のモデルがございます。


鬼婆の伝説はあまりにも悲しく 切ないです。


その昔 京都の公家屋敷に「岩手」と云う乳母がおり 手塩にかけて育てていた お姫様がおります。

その姫が、重い病にかかり その為に 岩手は手を尽くし治癒の方法を探します。 

ある易者に聞くと 「妊婦の生き胆を煎じて飲ませれば治る」と云われます。


その言葉を信じ その妊婦の生き胆を探して旅に出ますが、 妊婦の生き胆など そうそうあるはずが ありません 

放浪するうちに とうとう福島の二本松まで やって来ます。


そこの岩屋に住み着いていると、ある日、旅の夫婦が一夜の宿を求め やって来ます。


妻は身重で その岩屋で産気づき 夫が産婆を探しに行く留守に この時とばかり、岩手は妻の女を縛り上げて 生きながら その腹を出刃包丁で裂いて生き胆を取り出します。


その死に際につぶやいた妻の言葉。


「幼い時に別れた母を探して 旅をしていたのに、とうとう会えなかった」と岩手がふと見ると 見覚えのあるお守り袋を携えていました。 

それはかって岩手が娘に与えた物。

岩手は我が娘を惨殺した事になります。


娘は 手塩にかけた姫様と同じ年の 乳兄弟でしょうか?
(この辺りは詳しくわかりませんが その可能性は高いでしょうね。)


あまりの出来事に気が狂い その後は鬼婆となって、
宿を求めて来た 道行く旅人を次々に殺しては
その生き血を吸うと云う 毎日。

<小屋番の注。歌舞伎の内容はここから始まります。>

そこへ紀州の僧が、たまたま来合わせ、如意輪観音の白真弓の力で 
祈り伏せたと云う鬼婆伝説。


その菩提を弔うための塚が二本松の『黒塚』です。 

哀しいお話ですが、元を正せば 易者の無責任な言葉!! 

この恐ろしい性(さが)の伝説を舞踊化したのが 木村富子作 長唄『黒塚』


誰もが見るも恐ろしい こう云った素材までも、芸術としてしまうのが、
日本の文化 いやまして、伝統の発想の面白さ。 これぞ歌舞伎!!。


初演は、昭和14年(1926年)東京劇場で初代猿翁(二代目猿之助)さんが勤められました。

それ以来 二代目猿翁旦那(三代目猿之助) 右近さん 四代目猿之助さんと老女岩手 実は安達原の鬼女を勤められたのは 歴代のおもだかやの座頭格の人しかおりません

それだけに家の芸として 伝わっており これからも回を重ねて行く事でしょう。」
以上。

 山登りをしていて、どこかで見た様な気がします。長野県戸隠の山に登った鬼無里村にも「鬼女紅葉」の伝説がありました。鬼女が住んでいた洞窟にも行きました。これも「紅葉狩」の名で歌舞伎の演目になっていました。(渡辺 保『歌舞伎手帖』角川ソフィア文庫)

 なんで女ばかりが鬼になるのか。弱い立場になることが多い女が、裏切りに遭えば,捨てられ、乱暴されれば、怨恨、嫉妬が生まれる。それを晴らすことができなければ鬼となって復讐するしかない。現代では大抵はカネで精算することができるようになっただけ時代は進歩したのかも知れない。 

 ロシアン・バレエを取り込んだ舞踊劇という。だから古典的な時間の流れが止まったかのような歌舞伎のイメージに合わない。 舞台で飛び跳ねて、まさにバレエの躍動感がある。歌舞伎でも現代歌舞伎なのであろう。だから歌舞伎を古来の伝統から逸脱しない、古典というふうに思うなよ、という挑戦であろう。伝統とは少しづつ新しいものを取り入れて変革してゆくものらしい。それゆえに時代に取り残されずに継がれて行く。

 中日新聞+プラスの達人に訊けで、安達太良山の項で少し関連して書いた。
http://chuplus.jp/blog/article/detail.php?comment_id=827&comment_sub_id=0&category_id=240&pl=7742355195

三、楼門五三桐 一幕
(戸部銀作 補綴)

 これはもう様式美の極致。絢爛豪華な舞台。

夜の部は16時開演
一、春調娘七種 長唄囃子連中

 あまり印象に残っていない。

二、ぢいさんばあさん 三幕
(森鴎外 原作、宇野信夫 作・演出)

 これも香川照之主役で、松竹のホームドラマを彷彿させる。江戸時代が舞台なのでさしずめ藤沢周平の世界を見るような気がした。ちょっとした事件がきっかけで離れ離れになった夫婦の強い絆を描いた名作。

三、二代目 市川猿 翁     口上 一幕
   四代目 市川猿之助
   九代目 市川中 車

 口上を見るのは、昨年10月の顔見世に続き2回目。壮観です。

四、三代猿之助
   四十八種の内  義経千本桜 川連法眼館の場 一幕
市川猿之助宙乗り狐六法
   相勤め申し候

 これも昨年10月の顔見世で観劇した。人間に化けた狐の親子の愛情を描く。筋は同じながら、最終場面での宙吊りなんて有ったかな。

土を喰う2013年03月10日

 暖かい春の1日を過ごす。午後になって買い物に出かけた。スーパーの惣菜売り場は以前は利用したが、最近は自家製でまかなう。割高ということと味は今一だから。しかし、惣菜の見本市としての利用価値はある。今日は某スーパーで、旨そうなきんぴらごぼうを見た。それをヒントにする。ゴボウ、ニンジン、こんにゃく、牛肉を仕入れる。

 水上勉の『土を喰う日々』(新潮文庫)、『精進百選』(岩波書店)を読むと、「畑に相談する」という言葉が出てくる。禅寺の台所を受け持っていた水上勉は和尚さんから客人に出す酒の肴を言い付けられると、「畑に相談」して献立を考えたらしい。境内の一角にある畑に出て、植わっている野菜を見て惣菜を考えるのである。そうした精進料理の数々を写真で紹介した本である。

 私など農家の長男ながら、わけあって糸の切れたタコみたいに家を出て、田も畑も失えば、現金を稼いで買うしかない。かつては、味噌、梅干、漬物は自製、鶏を飼い、卵を産ませるし、近くの川ではシラハエ、ウナギ、ナマズ、エビ、カニ、アユ、フナなどみな獲れた。川は共有の生簀であった。田植えが終わり、消毒する時節が来る。余った消毒液を川に捨てる事件があった。すると川の至るところに魚が浮く。死んでしまったもの、苦しそうな魚など、この小さな川にこんなにも生物がいるのかと思う。翌年にはまた豊かな魚が泳いでいた。
 今は水さえも買わねばならない。生産する側の立場をも去ってしまえば、一介の消費者に成り果てたのである。今日の夕飯の惣菜は何にするか、とデリカフーズを見回して相談することになる。

 さて、土で真っ黒なゴボウである。これを見るとまさに「土を喰う」気がする。ごぼうに詰まった大地の養分をいただくのである。土をたわしでごしごし洗う。使い古した包丁を当てて、更に皮を剥ぐ。いい香がする。綺麗になったところで、千切り用の器具で削いでゆく。添え物のニンジンを削いでゆく。別の鍋に浸してあくをとる。暖めておいたフライパンにごま油を引き、牛肉、ごぼう、ニンジン、こんにゃくを炒めてゆく。醤油、みりん、酒少々で味を調える。出来上がる。
 味は今一。特に牛肉がぱさぱさして不味い。まるで牧草飼育のオーストラリアビーフの味である。国産牛(多分、乳牛の処分)と銘打ってあったが、高くても和牛のバラにするべきだった。ビーフ抜きでも良かったかも知れない。

二村善市さんの作業場全焼2013年03月15日

 中日新聞朝刊の社会面に思わず、あっと、声がでそうになった火災事故の記事を読んだ。山やでも知る人ぞ知る、二村ピッケルの製造元の作業場が3/14に全焼したという。場所は豊田市平芝町四。
 二村ピッケルは鋼鉄を火床で焼いて一本一本手作りされる鍛造品で、登山道具の逸品だ。私も欲しかった。記事によると生産は年間5本から10本という。1本5万円というから使うのがもったいない。登山家の田部井さんのコメントによれば絶大な信頼を寄せていた。彼女も作業場を訪れたという。

 全焼をお見舞い申し上げる。幸い怪我などは無く、1日も早く、作業場の復旧を祈りたい。

 私の母の実家は本格的な農機具を生産する鍛冶屋だった。いわゆる村の鍛冶屋さんだった。祖父も石屋で、今で言うなら土建屋であるが、石を割ったり、削ったりする鏨(たがね)は切れ味が鈍りやすい。そこで、自宅の一角に小さな鍛冶場を造り、仕事が終わるとコークスを熾し、ハンマーで鍛え直していた。子供のころはそこが遊び場でもあった。
 
 恐らく二村ピッケルもそんなイメージの中で造られているはずである。ウッドシャフトは鉈、鎌、鍬の製造そのものの技術が生かせる。鍛冶屋というのは金属加工だけでなく、木工との融合技能である。だから郷愁もある。
 
 尚、記事には「ピッケルは鋳型に金属を流し込む量産型が多い」というが、ピッケルのような極寒地で強度がかかるものは鋳造品ではないはずだ。鋳造品は繊維がなく、脆弱でピッケルには向かない。多分、冷間鍛造かプレスと思われる。

二村氏が運営するホームページ

http://www.sun-inet.or.jp/~zen1/

二村善市さんを紹介するホームページ

http://www.meikoukai.com/contents/town/06/6_44/index.html

http://www.nirayama.com/~suwabe/Pickel/Futamura/F3.htm

葬儀2013年03月18日

ふるさとの山に向かえば霞むなり

春の夜や農ひと筋の叔母逝きし

縁ありて集うお通夜や朧なり

火葬場に向かうや春の曇りがち

悲しみを知らせる鐘や春の雨

線香に火がつきにくし春の雨

浄土へと旅立つ叔母や鳥曇り

亡き叔母の昔話や桜餅

飛騨・猿ヶ馬場山スキー登山2013年03月20日

 3/19、愛知岳連の理事会が終わって午後8時。Wさんと西庁舎で合流する。Yさんは先行して、登山口の状況を偵察してもらう。高速に乗れたのは9時前後だったかな。東海北陸道を北へひた走る。白川ICを降りて、道の駅の一角でテントビバーク。就寝は午前1時。午前5時に目覚ましが鳴る。お湯を沸かし、インスタントのウドンを流し込む。
 午前6時過ぎ、Yさんに挨拶し、登山口へ誘導してもらう。白川郷も今は静かである。萩町にある登山口は車1台分の幅のある車道から杉林に続く林道の出発点になっている。そこに辛うじて2台をデポできた。 スキー板にシールを貼って出発。かなり急な斜面であるが、林道をショートカットする先行者のシュプールが残っており、それがルート案内にもなる。急斜面をジグザグに登りきり、林道に上がるとあとは谷の中を登ってゆく。するとまた林道に合うのでしばらくは林道上を歩く。所々デブリがある。
 左に宮谷源流と合う。帰雲山への尾根はパスしてそのまま直進すると、素晴らしい栃の大木、ブナ、その上ではダケカンバの疎林となって絶好の滑走場を提供してくれる。ここをまたジグザグを切りながら高度を稼ぐ。高木泰夫氏の「登山の喜びは登山に要した苦労の関数である」という言葉がよぎる。
 急斜面の登りから開放されて、帰雲山と猿が馬場を結ぶ稜線に出た。高度計が1700m以上を指示して1875mに近づいたことを感じる。視野が広がる。緩斜面の雪原が広がる。山頂は近そうだが、ここからが結構遠かった。前方に先行した2人が止まっている。あそこが山頂か。
 矮小化したシラビソの樹林の間を抜けて、ようやく山頂に立った。残念ながら北アルプスは見えない。白山も見えないが、大笠山らしき山は見えた。三ヶ辻山、金剛堂山も山霞の中に白い美しい山容を見せた。
 登頂はこれで2度目。いつぞやの4月下旬、栗ヶ谷川の横谷から籾糠山へ尾根を辿り、1818m峰を経て登った。下山は雪の詰まった谷を横断して籾糠山に戻った記憶がある。
 近くでは御前岳が見える。1等三角点の山でありながら、『ぎふ百山』、『続・ぎふ百山』にも採用されなかった。近くに猿が馬場山が飛騨高地の最高峰の栄誉を享け、日本三百名山に採用されているため不遇を託つことになった山である。しかも登山道がない。が、登る人は登っている。私は測量のために伐開された藪を分けて登頂した。更にスキーで森茂峠から再登を目指したが、栗ヶ岳で引き返した。登りがたい山である。
 山頂滞在は30分未満。シールをはがして滑降開始。緩斜面のうちはシュプールの跡を辿り、赤い布を外しながら進む。宮谷源流から待望のブナ林の疎林の中の滑走を楽しむ。自在に。あっという間に終わる。後は来たルートをほぼそのまま滑走。登りには5時間半ほどかかったが、約2時間超で下山できた。スキーの威力である。
 萩町を後にして平瀬温泉で一風呂浴びて帰名した。

猿が馬場山余談2013年03月21日

 リーダーのW君は『ぎふ百山』の完登を目指している。私はもう終えたが、沢登りや山スキーで行くならば、と二順目でお付き合いさせてもらっている。

 とにかく、登頂は癒される。マイカーやロープウェイのような機械力で殆ど高度を稼いで徒歩30分以内で山頂に立てても喜べるのに、数時間もかけて、しかもスキー登山であり、滑降も楽しめたから喜びは大きい。高木泰夫先生の登山の喜びは苦労の関数ということをしみじみ実感した。

 1月中旬に風邪を引き、こじらせてしまった。お世話になっている医院が最近亡くなられて廃院になった。これを機に医者に行かずに治す、薬を呑まずに治すことを実践したが、治ることは治ったが、所詮は無茶なことであった。咳がいつまでも残り、体力を消耗し、気力が失せた。2月は軽く八ヶ岳で寒さに慣れる登山で終わった。

 毎年、夏太りする。ビールを飲み、食べるからだろう。秋になると体重を落とそうと、節制する意識が働いて、肉を制限する。これで免疫力が落ちるせいか、寒くなると決まって風邪を引く。1月は新年会で鯨飲馬食で胃腸に負担がかかる。これでまた風邪を引く。この悪循環を修正したい。

 言わば病み上がりで、余り自信は無かった。が、一度もスキーを履かずにシーズンを終了するわけにはいかないこと、月に一度は山頂に立つことを実現するために意地をはったのである。

 久々にスポーツで汗をかいた。汗で失う微量栄養素もあるが、過剰な脂肪分を燃やし、体内に溜まった毒素も汗とともに流せる。温泉でも入浴後に発汗が盛んになる。今日は果物と野菜でビタミンを補給するか。

週刊ポスト3/29号が山岳遭難に警鐘記事2013年03月23日

 毎週毎週、お色気、政治、経済、社会、風俗、スポーツ、芸能など幅広い最新の話題を提供している週刊誌であるが、その中の週刊ポスト誌3/29に、あら珍しや、山岳遭難の警鐘レポートと称する記事が掲載された。執筆者は柳川悠二氏でノンフィクションライターという。
 これまでに山岳界では見たこともないので、検索すると、FBがヒットした。1976年生まれの37歳というから、新進のライターかな。FBに「今発売中の週刊ポストで山岳救助の記事を書きました(急いで!)。んで、ナンバーでは石川遼のインタビュー記事を書きました。文藝春秋の記事が彼の言葉で綴ったものなら、こちらは僕が取材してきた約4年間の総決算的な感じで書きました。あわせて読んでもらえれば。」の書き込みがあった。
 ヒマラヤを遍歴してきたようなベテランの登山家ではなく、むしろ登山界の外から書かれた。客観的な文章はそのためかも知れない。無遠慮に発言すると人を介してつながりのある人かも知れず、逆襲されるので、中々本音は書けない。
 拾い読みしながら、記事内容に当たってみる。タイトルは「救助者たちも悲鳴をあげる命知らずの登山者たちの「独善」とある。副題は「スマホ遭難」「半袖サンダル入山」続出!--登山ブームの裏側に迫る、とある。
 最初の見出しは「山に帰ってきた団塊世代」で、昨年のGWを題材に展開される。昭和40年代の登山ブームを支えた世代が今、リタイアして山に帰ってきたというのだ。内容的には昨年の事故直後の分析記事の内容を踏襲している。
 
高齢者の身の程知らずの登山を戒めている。

 二番目の「バナナを食べてはいけない」というのだが、これはウソだ。おかしいぞ、と思って「バナナ 痙攣」でぐぐると、あるサイトの記事がヒット。
「けいれん防止には「バナナ」…Why?
 バナナにはスポーツ前 本番にエネルギー素早くチャージできるという他にミネラル そうK、Mg が 豊富に含まれているのです。先ほども書きましたが、これらは筋肉の収縮をスムーズに司る隠れた重要物質なのです。充分に手軽に摂れるバナナ食っていればケイレンは防げます。」
 他の記事もバナナは痙攣予防にいい、という内容ばかりだ。私もバナナは行動食によく持参するが、痙攣したことはない。

 薬剤師の山仲間が奨めるのはツムラの「芍薬甘草湯」です。カネボウからも出ています。

「山登りの最中に、足がつる、つまり痙攣が起こったら、これは確かに「筋 肉の過剰な収縮」が起こっている状態ですから、芍薬甘草湯が効くと思わ れます。こういった薬は、一気に血中濃度を上げて、先制パンチを打った方がよく効くので、私は一日量の3包 を一度に飲むよう奨めていますが、3包 飲むのがはばかられたら、少し時間をおいて飲んでも構いません。よほどひどい状態でないかぎり、3包 飲めばたいがいの痙攣は止まると予想しています。しかし、芍薬甘草湯はあくまで対症療法です。足がつるのにはそれなりの原因があるのです。原因をそのまま にしておいたら、芍薬甘草湯の効果が切れた時点でまた痙攣が起こります。ですから、痙攣がおさまって楽になったら、水分を摂る、塩分を摂るといった方法 で、痙攣を起こす原因である脱水とそれに伴う電解質バランスの崩れの補正を行う必要があります。これにはスポーツドリンクを十分に飲むのが簡単です。あらためて言いますが、単に芍薬甘草湯を飲めば痙攣が治るわけではないのです。」

 北アルプス・薬師岳に登山した際、メンバーが痙攣を起こして登れなくなった。そこで登山道の休み場をキョロキョロ探して芍薬甘草湯の袋を拾い、続々登ってくる登山者に向かって、この薬を持っている人いませんかあ、と叫んだ。すると持っていた女性が1袋くれた。早速飲ませて休むと何とか歩けるというので助かった思いがした。

 普段から低山歩きをしている人ならまず起きない。はっきり言えばトレーニング不足である。有名な山だけを選んでたまに登る人は痙攣を想定して持参しておくにこしたことはない。

 三番目が「無表情の遺体」。救助する立場にたっての発言である。山岳救助は場所が場所だけに二重遭難のリスクを負っている、ということを理解しておきたい。

 四番目は「スマホで山中パニック」。これは私も使ったことがないので知らない。しかし、最近は持っている人が増えているようだ。GPS付きのスマホは現在位置が分かる?らしい。登山用に開発されたものも出ている。ちゃんと地図もでてくるから地形図、コンパスを携行しない登山者がいるのだろう。そこでおきるのは道迷いである。山中では電波の届かないところもあるからパニックになることは想像に難くない。

 最後は登山は自己責任で締めくくる。山中は下界の警察関係者も手が出せないところ。山を熟知した警察官は趣味として登る以外は普通の人である。余り多くを期待できないのだ。

 3/19の愛知岳連の報告でも、昨年、鈴鹿山系で起きた遭難事故は50件あり、5名くらいが死んだ、という。道迷いが殆どらしい。鈴鹿山麓に住む先輩(三重岳連、JAC)の話では四日市西警察署から、毎週のように救助要請があるらしい。
 その先輩の要請で昨年2/18から4/下旬まで、名古屋市の人が行方不明というので捜索協力した。下草が繁茂して捜索が困難になるギリギリのところで遺体で発見された。
 当ブログでも自身の捜索活動をリアルに発信して拡散に務めた。結果、協力者が拡散して、延べ700名の無償による異例の捜索活動になった。1回に付き交通費程度の5千円の報酬でも、350万円の出費になる。捜索保険に加入していても100万円から150万円だから相当な持ち出しになる。
 かつて、北アルプスの八方尾根で逗子開成高校の生徒が行方不明になった。最後まで見つからなかった親は家を手放してまで捜索したという。

 遭難者をそのままに放置しておけないと、鈴鹿を愛する登山者の意地でもあった。通常は捜索費用の多額に家族が驚き、1ヶ月程度で終わる。山岳会に所属しておれば、仲間が無償で引き続き捜索することもある。単独、未組織、未所属だと放置するままで終わる。

 この人の遭難原因は何だったか。単独で、亡くなれば、反省のしようもない。推定をするならば、雪原の濃いガスの中を単独行動し、ボタンブチという断崖とも知らずに近づいて、転落死した。ガスでなければ、転落しなかった。すると原因は気象遭難といえる。
 履物はスノーシュー、GPSも利用されていたらしい。平頂峰の周囲は必ずといっていいほど断崖で構成されている。警戒心が欲しかった。

 登山は、体力、知識、経験、技術、道具ではなく、判断がすべてになる。それなりのリーダーは適切な判断をしている。
 記事の最後はやはり、捜索費用のことを述べている。警察や消防の救助の場合、遭難者が捜索費用を負担することはない。ヘリコプターをタクシー代わりに利用する遭難者もいる。将来的には公共サービスも有料になる可能性もある。捜索救助を含む保険加入が必須になってきた。

猿ヶ馬場山の滑降シーン2013年03月23日

ブナ林を滑降するYさん

猿ヶ馬場山の滑降シーン2013年03月23日

ブナ林を滑降するWさん

桜咲く2013年03月26日

 天白川沿いの桜並木がようやく咲いた。同時に川の右岸にある緑道(遊歩道+自転車道)に雪洞(ぼんぼり)が設置されて夜桜の花見の季節を待っている。もうすぐだ。

ぼんぼりや天白川に春が来た

 地下鉄・久屋大通り駅を出ると名古屋駅前につながる桜通りである。目にぱっと飛び込んできたのは枝垂桜である。彼岸桜の一種というからまさに花盛り。糸桜ともいう。文字通り桜の季節を迎えている。それとシモクレンの花も地味ながら咲いている。

地下鉄を出れば枝垂るる桜咲く

盛装の佳人のごとき花盛り

凜として近づきがたし糸桜


 朝出るときは薄手のものか迷ったが冬服にして出た。仕事中でも寒くエアコンをつけた。依頼された遺言書の書き出しを考える。

花冷えや遺言の文の整わず


  古くから住む人が庭の手入れをしていた

蒼穹にきわだつ紅き梅の花

  飛騨・白川郷の猿が馬場山への途中で

マンサクや雪あればこそ行く山路

マンサや白川郷にひそと咲く