いなべ市ゆかりの俳人・前田普羅を巡る吟行記!2012年11月25日

鼎の竜雲寺境内にある句碑・”かりがねの余りに高く帰るなり”と”道をしへ藤原ヶ岳遠ざかる”
 午前9時まえにメンバー5人が揃った。今日も小寒いが、いいお天気である。植田ICから高速に入り、伊勢湾岸道へ、車窓からは遠くに真っ白な白山が見えた。目の前には鈴鹿山脈が並ぶ。伊勢湾上には大型タンカーが浮かんでいる。四日市コンビナートの煙がまっすくに昇り、無風快晴である。東名阪に合流し、桑名ICで降りた。
 目指すは鳴谷山聖宝寺で、今時はもみじ祭りを催す。罠に吸い込まれるように民家の庭を利用した有料駐車場に入ると、主人が人懐こく話しかける。棗の実をもらったりするうちに、庭の植物の話が弾み、話が途切れないまま案内されて、自慢話を聞かされた。登山口に向かって地道を歩く。鳴谷神社の境内から登り出すが、早速一人がもう歩けないというので、宥めながら255段を登らせた。頂上に着くと、池があり、鯉が泳いでいる。別の池には虹鱒も養殖されていた。
 維持協力費というか、浄財200円を払う。境内へ入ると、大勢の参拝客が訪れて、もみじの紅葉を楽しんでいた。銀杏の大木の黄葉も盛りであった。本堂の左側に、池を配した庭園があり、紅葉が美しい。久々に山口誓子の句碑も見た。周回して、足の弱い人を待機させた。1人で下り、マイカーを境内まで走って、同乗した。
 次は農業公園のレストラン・フラールへ向かった。「フラール」とは
「【農業レストラン「フラール」】
料  金 大人800円(中学生以上)     子ども500円
       ※特選ビュッフェもご用意しております。1,400円(要予約)
営業時間 11:00~14:00
定 休 日 水曜日
電  話 0594-46-6370
場  所 三重県いなべ市藤原町鼎(かなえ)3071番地
      いなべ市農業公園エコ福祉広場内 」

 そのエピソードが検索でヒットした。「農業レストランを運営 いなべの食材味わって」から。2009年7月1日。

「有限会社ゴールドシェフ代表
北村 光弘さん(53)
四日市市笹川

 飲食店のメニュー開発や料理教室のプロデュースなどを手掛ける一方、料理人としてテレビやラジオ番組にも出演する北村さん。食に関する三重県のアドバイザーを務めていることから、このほどいなべ市の農業公園にオープンした農業レストランの運営に、新たに取り組み始めた。(福家 明子)

―これまでの経歴について教えてください。

 高校時代に食事療法に関心を持ったことが、この道を志したきっかけです。現在の名古屋文理短大を卒業後、調理師学校に就職して職業教育に20数年間携わりました。中華料理が専門です。

―このほどオープンした農業レストランはどんなお店ですか?

 いなべ市藤原町鼎の56ヘクタールの広大な農業公園内にある「農業レストラン・フラール」です。店名は同町ゆかりの俳人・前田普羅さんと公園の名物・梅の成分である「ムメフラール」にちなんで名付けました。地元農家が生産した農作物や公園内の畑で収穫した野菜などを使ったビュッフェ(800円)を提供しています。営業時間は午前11時から午後2時まで、毎週水曜日が定休日です。

―なぜ、お店を運営することになったのですか?

 三重県農林水産支援センター(松阪市)のアドバイザーとして、いなべ市の特産品の開発に取り組み「いなべそば」を作りました。今年3月に公園で開かれた「梅まつり」で販売したところ、予想を大幅に上回る売れ行きでした。市と話し合いながら“いなべの旬の食材”をさらに多くの人に味わってもらう場所作りに発展したわけです。

―お客さんからはどんな反応ですか?

 「破竹のサラダビーンズ」「きのこ色々と野菜のマリネ」、さまざまな豆類で作った「五色納豆」など工夫を凝らして常時11〜13種類を用意しています。特に山菜の天ぷらや煮物などが人気ですよ。市内に住んでいても「こんな所があるなんて知らなかった」という人やおいしい野菜の選び方や調理方法を尋ねる人もいます。

―レストランを市や農業公園の活性化につなげたいそうですね。

 はい。農業公園を観光地として誘客できないか考えたとき、その観光素材の1つがこのレストランです。食と観光は一体ですからね。地元の食材を味わっていただき、市内の名所や近隣の地域も楽しんでいただく準備を進めています。」

 「フラール」が、俳人の前田普羅に因んだというところが面白い。普羅の名前も英語のフラワーに因む。確かに、野菜中心の数々の料理は旨かった。カレーの香も素晴らしく、野菜のうま味が出ていた。満腹になった。これで800円である。
 少しばかり腹ごなしに散策して、最終目的地は鼎にある竜雲寺の庭にある前田普羅の句碑を訪ねた。家人に断って枯山水の趣のある庭の句碑を見学した。
 いずれも普羅の弟子で和尚の長屋佳山が建てた。戦後、妻を亡くし、娘を嫁がせた普羅にとって、三重県の山奥にある禅寺はいい居場所になったようだった。富山市から東海道線の関ヶ原駅で降りて、徒歩で来たらしい。登山靴を常時履いていたという。健脚だったことは間違いない。ここ鼎で俳句指導もした。今も高齢ながら当時の弟子が居る。長屋佳山が持っていた台湾時代の漢籍を読めることも魅力だったのだろう。
 親交のゆえに、ここに家を建てるために寄付を募った。戦後のインフレで風呂釜しか買えなかったらしい。諦めて東京へ転居していった。
 竜雲寺を辞して、近くの公民館・夢かなえ荘に行った。ここには普羅の研究家・平手ふじえ氏の指導で顕彰コーナーが設けられている。顔写真に始まり、短冊や年表、風呂釜の写真などの紹介に努めている。
 これで今日の日程は終了。帰りは東名阪→名古屋高速経由で帰名。植田駅に着いて、喫茶店で反省会と句評を行って解散した。

  農業レストラン「フラール」から藤原岳御池岳全景を眺めて
     御池岳藤原岳も眠るなり