蓼科山の天高し!2012年11月05日

 11/3から11/4は信州・蓼科高原に遊んだ。山岳会の2名の有志が、日本百名山の全山踏破を達成した。9名がそのお祝いに参加し、総勢11名の山行になった。友人の蓼科高原・緑の村にある別荘を利用させてもらっての楽しい2日であった。
 朝4時起床。友人宅で合流しながら、蓼科山登山口を目指した。天気が良いせいか、早朝から交通量が多かった。駒ケ岳SAで休憩し、朝食をとる。
 とりあえずは別荘の入り口で車を2台に集約して再出発。高原は登るにつれて、紅葉になるが、時既に遅し、の感あり。北斜面は落葉している。草つきも枯れている。山は晩秋から初冬に向かっている。
 登山口は以前に登ったことがある大河原峠である。ここからも雪化粧した北アルプスが見える。10マイルマラソンの中継地になっているようだ。
 ここで2000mを越えている。標高差は250mくらいだから2時間程度か。支度して出発。いきなり、樹林帯の中の岩のむき出した悪路に入る。霜柱も立つ。長年の登山によって荒れてきてしまったようだ。ほぼ直線に登ってゆくと2380mの前掛山最高点に着いた。ここは地形図で見る通り平らな山頂になっている。赤谷の分岐で、右へ細道をたどってみたが、2353.6mの三角点は見つからなかった。帰宅後調べると、昭和51年の五万図/蓼科山にはあったが、ネットの地形図では・2354の独立標高点に格下げされていた。亡失か廃止か。
 一旦、蓼科山荘のある鞍部まで下り、急な斜面の岩場を登りきると山頂であった。山頂は広く、展望は広大であった。三角点を確認後、一段下の石社まで下って昼食にした。有志2名はこの蓼科山で完全に踏破した。全員で記念写真を撮影後は下山した。蓼科山荘は11/4で小屋じまいとか。窓に戸を打ち付けて冬支度である。
 Pに着くと、マラソンランナーが来てはまた走ってゆく。過酷なレースである。しかし、徒労とは言うまい。
 下山して、別荘に向かい、買い物班と入浴班に分けて行動した。山麓まで下ると「河童の湯」があり、400円で入浴できる。さほど発汗はしていないが、冷えた身体が温まる。
 管理棟のゲートを入ると小川を挟んで、様々なデザインの別荘が建つ。灯が灯る別荘には人恋しい雰囲気がある。
 会場となる別荘別荘に着いた。瀟洒なデザインの木造家屋である。ダンボールの食材を運び入れる。暖炉に火入れ、男女数名が厨房に入って、買い出した食材を次々調理してゆく。まるで飯場である。出来上がった料理をテーブルに並べると、食べるのを待つばかり。先ずは百名山完全踏破達成の乾杯!だ。
 その後は、山談義のうちに夜が過ぎてゆく。
11/4。今朝はパンと飲み物、野菜、など豪華な朝食に目覚める。片付け、掃除、点検を済ませると、別荘域内から富士山を眺めるためにミニドライブとなった。行き止まりまで上り、朝の富士山の眺めを拝んだ。
 別荘を出て、ビーナスラインへの道に向かう。車山の南にある駐車場からは富士山が雄大に見える。そこを出て、八島湿原に向かう。ここから鷲ヶ峰に登った。360度の大パノラマである。この山からは中部日本の多くの名山が見える。蓼科山よりは広大である。
 雪化粧した北アルプスが特に目を引く。白馬までは見えず、五竜らしい山が頭だけだしている。浅間山の北東には遠く、白い山が見えるが、地図がないため山岳同定は難しい。北関東辺りの独立峰か?赤城山かなど山名がでるが不明。
 下山後は、買い物組みと帰名組に分かれて解散した。
 茅野市のJAでは「シナノゴールド」というりんご、小津安二郎が脚本を書くときは、ここ蓼科の野田高梧(愛知一中→早稲田大学→松竹・脚本家)の別荘「無芸荘」にこもって書き上げたという。その際に愛飲したのが「ダイヤ菊」という清酒だった。蓼科山の伏流水で醸造した地酒である。その酒も買った。昨夜食べて食感のよかったパリパリのレタスも味噌も買った。何しに来たのかというくらい買い物も楽しめた。