『山岳』N0107・支部報・個人誌等続々届く2012年10月01日

 A先生から「安曇野だより」第6号を恵贈。定年後、しばらくしてから、愛知県を出て、安曇野の一角へ別宅を建設。文によると愛知県の本宅を処分されたらしい。別宅がもう終の棲家になったわけだ。登山の方もお元気で継続中である。何よりである。それにしても十国山を知らなかったなんてねえ。それだけに新鮮味があって楽しめたのではないか。
 京都支部報、東海支部報と続々届いた。京都は国内山行中心の交流誌、東海は登山報告は海外以外は掲載せず、活動報告的な趣がある。これがカラーというものか。京都支部は今西錦司の肝煎りで設立されたから山好きでは人後に落ちない。東海支部はヒマラヤを目指す登山家の集団として設立されたから違って当然である。
 『山岳』N0107は中々読みでがあった。終戦直後、日本山岳会富山支部の会員だった棟方志功の交流譚の趣向である。私がN0105に投稿した「山恋の俳人 前田普羅」の時は、編集担当から、編集委員には文学を解する人がいない、とか長いとかで一旦掲載を断わられた。それでも何とか短縮して掲載にこぎつけた。その内容の前田普羅、小島烏水と関連する論文が掲載されたことで『山岳』も少しは文学の味がする読物になった。
 執筆者・五十嶋一晃氏の論考によると棟方志功が日本山岳会の富山支部会員だったことを掘り出されたわけで、前田普羅と登山をともにしたようだ。普羅死去後の葬儀にも参列し、普羅を偲ぶラジオ番組にも出演した。私の粗雑な文と違い、綿密に取材されて、富山県における交流の風景を再現された。ちなみに、五十嶋氏は太郎平小屋のオーナー・五十嶋博文氏の実兄である。『山案内人 宇治長次郎』の著書もある。
 もう1本は四国支部を立ち上げて、支部長になられた尾野益大氏の小島烏水に関する論考である。日本山岳会の初代会長でありながらこれまで故郷の四国での研究はなされてこなかったようだ。その嚆矢となる論考ではないか。来年4月14日には烏水のイベントも行うようだ。是非行きたいものだ。
 するとわが愛知の偉人・志賀 重昂の研究も進めねばなるまい。この人の『日本風景論』が烏水、普羅に登山を教えたのであるから。全集を購入して少しづつ読み込んでいるところだ。日清戦争に勝利した当時を背景にベストセラーになったという。日本の風景称賛の本である。欧米の植民地になるまいとして近代化を進めていた日本人の何に受けたのか。『日本百名山』の先輩格にあたるが、郷土愛ということか。それが高じてナショナリズムへと。

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